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最期の10日間は、メモリがいっぱいのPCみたいだった

──それでも、最期の数日間は壮絶な看護生活でした。

瀧波 大阪で暮らす姉が母を引き取って見てくれていたので、私が母のお世話をしたのは最期の10日間くらいなんですが、母が90分おきくらいに目を覚ましてトイレに行こうとするので、まったく眠れず、精神的におかしくなりました。

 私は病室で仕事もしていて、今考えると、何で仕事を休まなかったんだろうという感じですが、眠れないと人間ってどんどん頭が回らなくなってくるんですね。いつものことを続けないといけないと思い込んで、病院の中に洗濯機や乾燥機もあることに気づかなかったり、病室の中に浴槽があるのに「銭湯に行かなきゃ」と思ったり。メモリがいっぱいになると、パソコンやスマホも動きが鈍くなるじゃないですか。あんな感じでした。

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──そこまで看護しても、後悔していることなどはありますか。

瀧波 最期が壮絶すぎたので、しばらくは「ああ、終わった」みたいな感じでした。もっと優しくできたら、というのは思うんですけど、でもあれ以上優しくもできなかったしな、という思いも(笑)。

──お互い、ギリギリの状態ということもありますよね。

瀧波 決して嫌いあっていたわけではないのですが、母が面倒くさいコミュニケーションの取り方をする人だったので、それによって関係性が崩れ、それをなんとかしたいという思いがずっと続いていたんです。がんになって、その問題は解決できないまま母は亡くなりましたが、できるだけのことはやったので、後悔はないです。

最期まで「おしゃれで買い物好きの母」だった

──お母さまとの忘れられないエピソードがあったら教えてください。

瀧波 最後の入院をする前に、母を銀行に連れて行ったんです。銀行の隣にかわいい雑貨屋さんがあって、何を思ったのか母はそのお店に入り、「入院する時に持って行く」とふくろうのイラストが描かれた、がま口型ポシェットを買っていました。おそらく、その時点で母は入院したらもう自宅には帰れないと分かっていたはずなんです。でも、かわいいお店があったから入り、かわいいバッグが売っていたから買う、そしてそのお気に入りのバッグをお出かけに持って行く、という行動を見て、母は最期まで「おしゃれで買い物好きの母」だったんだなと思いました。

 

──「がん患者」である以前にその人自身であるわけですものね。

瀧波 結局、人って、病気になったからといって「余命わずかな人」になるわけではなく、最期まで自分のままなんだと思います。面倒くさくて、付き合いにくい親でしたけど、ふとした時に嬉しそうにふくろうのバッグを持っている母を思い出せるのはよかったなあと思います。

お母さまの遺影

撮影=山元茂樹/文藝春秋

たきなみ・ゆかり/漫画家。1980年北海道札幌市出身。日本大学藝術学部写真学科卒業。著書に漫画『臨死!! 江古田ちゃん』全8巻、『あさはかな夢みし』全3巻、『モトカレ マニア』1~2巻(共に講談社)、エッセイ『はるまき日記 偏愛的育児エッセイ』(文春文庫)、 『女もたけなわ』『30と40のあいだ』(共に幻冬舎文庫)、『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』、『ありがとうって言えたなら』(共に文藝春秋)など。

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