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コンビ結成13年、中学の同級生

 この鉄板ネタ以外にも小宮が「美容師になりたい」と言えば、相田が漁師と聞き違え、「船酔いとか大変だと思うんだよ」。それに対し「滑舌が悪いだけだろ」と抵抗すれば「急に料理の話か」とカツレツと空耳する。とにかく小宮が持つ漫才師として欠点であるはずの滑舌をパワフルな笑いに変えていく。加えて相田の胸をドツいた瞬間に「硬い! まるで丸太のようだ。柔らかくあれ」といった、前触れなく小宮が擬古文調のフレーズを出すような飛び道具もある。

 

 初期のライブから小宮は滑舌の悪さやYouTuber・HIKAKINとルックスを間違われてはキレていくスタイルを確立していた。そして、年々相田へ「脆弱なボケしてくんじゃねえよ!」と悪あがきするさまを磨き上げている。いまやM-1王者目前の実力なのだ。

 息の合った漫才を繰り広げる二人はコンビ結成13年を迎える。中学時代の同級生で仲がいい。

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 笑いへの目覚めは相田が早く、小学生時代にダウンタウンに感化されて遊びでコントのモノマネをやっていた。小宮と相田はいいトコの子が通うイメージの成城学園中学校へ入学。エスカレーター式の校風に馴染めなかった頃、相田が石橋貴明が演る古畑任三郎のマネでクラスメートにウケたのをきっかけに笑いの力を知った。相田は当時から滑舌の悪い小宮のマネをしていたが、芸人になるという目標もなく、ただの地味な中学生だった。

「浩信君は漫才師が向いていますね!」

 高校へ進み、漫才師への道を開いたのは、お笑い好きの相田ではなく小宮だった。東大に在職する父親を持つ小宮は受験ストレスが中学時代からくすぶっており、自身が語るところによると「頭がぶっ壊れそう」だった。高校2年で留年が決まり、その鬱屈は頂点に。現在と同じくネタを自分で作り、相田ともう一人を誘って文化祭でトリオ漫才を演った。意味不明なワードをシャウトするだけという酷いネタだったらしいが意外にウケた。なんと高校3年の三者面談で担任は「浩信君は漫才師が向いていますね!」と勧めた。高学歴でカタギの親からすると歓迎したくない進路指導を与えられてしまったのだ。

 

 高校卒業後、相田は大学、小宮はフリーター生活に入った。相田が大学2年の頃、突然、小宮が「就職決まってないんだったら芸人養成所に入ってみない?」と誘ってきた。入所したのがアンジャッシュやアンタッチャブルを輩出した人力舎主宰のスクールJCAだ。先輩のラバーガールによれば「授業でずうっとハンカチ落しだけをやって終わったり、『ルールはよくわからないけどカバディやってみよう』という日も」ある極端にゆるい養成所だった。

 小宮と相田は漫才の練習を養成所向かいの蚕糸の森公園で行った。芸名をつけるにあたり、常に原点回帰を願って蚕糸の読みだけを取り「三四郎」とする。

「漱石の『三四郎』の主人公のモデルが小宮豊隆(漱石の弟子)で、僕の名前が小宮だからって、由来は夏目漱石説とか言われました。あと、僕の親が東大で働いてて、東大には『三四郎池』があるからそれが由来だっていうのもありました(笑)。そっちのほうが博学に見えるから、それでいいやって思ったこともあります」(小宮談・※)