「鉄人」「不屈」「ド根性」……。この1カ月、スポニチ紙上で梅野隆太郎は、スポーツ紙っぽい“ゴリゴリ”な表現を纏って報じられてきた。いつも真摯に取材に応じ、虎ファンだけでなく、報道陣からも「梅ちゃん」と呼ばれる好青年。そんな爽やかな印象の強い27歳が今、手負いのままグラウンドに立ち続けている。そのワケはレギュラー捕手としてのプライドとは少し違う。オフからの成り行きを見れば「反骨」「渇望」がしっくりくる。
「今までやってきたものを無駄にしたくない」
アクシデントは開幕からわずか4試合目に起こった。4月2日、敵地・東京ドームで行われた巨人戦で内野安打を放った際に一塁付近で前方へ転倒し、左足を負傷した。翌日にはチームを離れて緊急帰阪。4日に「左足薬指の骨折」と発表された。骨折という響きに虎番たちが顔をしかめる中、球団広報はこうも付け加えていた。「治療を行いながらの試合出場は可能ですので5日の広島戦から合流予定になります」。
ちょうどその頃、背番号44はブルーのジャージに身を包んで2軍の本拠地・鳴尾浜球場に姿を見せた。バットとミットを持って、室内練習場へ向かうと、すぐに快音が響き始める。数十分後、額に汗を浮かべて出てくると決意を明かした。「昨日、今日(欠場した2試合)とチームに迷惑をかけている。ベストとは言わないけど、チームに戻ってやるだけ」。そして、最後に、こう強調した。「今までやってきたものを無駄にしたくないので」。
印象的な言葉だった。本人の言う「今まで」とは、何なのか。それは、おそらく132試合に出場した昨季のことを指す。2010年の城島健司以来となる先発マスク100試合越えを果たし、定位置を確保した1年。そんな中、新たに就任した矢野燿大監督は福留孝介、糸井嘉男以外のポジションを白紙と強調した。捕手も例外でなく一度、リセットボタンが押された形になった。
オフシーズンは梅野に「白紙」についての質問がたくさん飛んだ。だが、これまでどんな問いかけにも、きっちりと答えてきた男が、ことポジション争いに関しては何度聞かれても「自分のできることをやるしかない」とひたすら繰り返し、苛立ちすら感じた。心中を察すれば、相当な悔しさがあったはずだ。認められていないような空気。最下位に沈み、捕手として感じた無念は、1年間マスクを被った者にしか分からない。気持ちを切らさず、懸命にミットを構えてきた自負もある。3年やって一人前と言われる世界。「白紙」という言葉は当然ながら、“18年の正捕手”の闘志をたぎらせるには、十分な二文字だった。
「白紙、白紙ってそのことばかり聞かれましたからね」
新たな1年が幕を開けても「本命・梅野」が揺らぐことはなかった。3月29日のヤクルト戦で3年連続の開幕スタメンを奪取。オープン戦から自慢の強肩を発動して盗塁阻止を連発するなど、特にディフェンス面でライバルたちを寄せ付けない存在感を示した。
開幕戦プレーボールの数時間前。分かっていながらも「白紙、競争と言われてきた中で、開幕マスクは一つ、ほっとしている部分はあるのかな?」と“愚問”をぶつけた。愛車のハンドルを握る梅野は、「いや、全く」と素っ気なかった。
そして、わずかな沈黙の後、自ら切り出した。「ほんとに、白紙、白紙ってそのことばかり聞かれましたからね。でも“やれることをやる”しか答えられない。そうでしょ? 昨年、試合に出させてもらいましたけど、最下位なんで。やっぱりシーズンで勝たないと意味がない。開幕戦に出るんだから、目指すのは全試合です」。「この日」が来ることに本人は何の疑いもなかった。スタートラインに立つことは当たり前。これから本当の戦いが始まる。鋭い視線を携えたまま、京セラドームの駐車場に入っていった。
だからこそ、故障を理由にポジションを空ける選択肢はあり得なかった。患部に負担がかかれば骨が変形する恐れもあったが、中指と束ねる形でテーピングを使って固定。一度、登録抹消し、完治を待って復帰するプランも検討されたが「試合に出ながら治す」という未経験の方法を選んだ。鳴尾浜に現れた4日も病院で診断を受けた後、そのまま東京で巨人戦に臨むチームへの合流を志願。さすがにストップがかかったが、1試合の“留守”も許せないゲームへの「飢え」は自然発生的なものだった。