次から次へと客が来る、と書くと言い過ぎかもしれないが、何分かごとに人が立ち止まる。離れた地区からなのだろう、車で買いに来る人もいる。
東京都練馬区でハウス栽培のトマトを販売する山口卓さん(48)の自動販売機だ。
「甘い」と評判なのである。
農家の生まれでもなく、就農するまでほとんど土に触ったこともなかった山口さんが、「練馬でトマトと言えば山口さん」と言われるようになるまでには、10年以上の年月と試行錯誤が必要だった。(全2回の2回目/#1から続く)
会計事務所を辞めて専業農家に
山口さんに農業との接点ができたのは、結婚して婿に入った先が農家だったからだ。ただし、婿入り先もそれほど熱心に農業をしていたわけではなく、梅と柿を植えた畑があったものの、あまり収穫することさえなくなっていた。
当時、存命だった義祖母は「農地を残したい」と思っていた。だが、農業後継者がいなかった。そして金融機関などに勧められて「農地は売却する」と決めていた。
「もったいない。ここで農業をして暮らせるなら夢のようじゃないか」。そう考えた山口さんは「私が農業をやります」と義祖母に志願した。今から15年ほど前のことだ。
勤めていた会計事務所を辞めて、専業農家になった。
「バブル経済が弾けた後、社会の価値観が変わろうとしていました。3K(きつい、汚い、危険)だと嫌われた農業も、やってみたいという人が出始めていました。自分にももしかしたら、そうした指向性があったのかもしれません」と山口さんは振り返る。
「その品種は加工用だ。私は生では食べない」
だが、素人でしかなかった。
とりあえず、梅と柿の木を抜いて、区が推奨していたブルーベリーを植えた。
なんとか収穫できる状態になった頃だ。外国の著名な学者の講演会に参加して質問したところ、「その品種は加工用だ。私は生では食べない」と言われて、愕然とした。「これでは将来を託せない」。落胆した山口さんはブルーベリー栽培を諦めた。木は別の農家が引き取ってくれた。