「この200円でカープを助けてください」
こんな話もあります。当時、野球選手を目指していた9歳の少年。その少年がカープの初代監督である石本秀一と出会った時、彼は貯金箱を割り、グローブを買うためにコツコツと貯めていた貯金200円を石本監督に手渡しました。そんな大切なお金はもらえないと断る石本監督に対し、少年は「これはカープの選手になった時に使うグローブのための貯金です。カープが無くなるならグローブはいりません。この200円でカープを助けてください」という話をしたそうです。
当時の物価を調べると、うどん、そばが15円ほど。わずか9歳の子どもにとって、そのお金がどれだけ大切だったか。石本監督は少年に何度も頭を下げながら、その大切なお金を受け取ったそうです。そう、広島からカープが無くなることは「復興の光を消す」こと、郷土の未来を諦めることに他ならなかったのです。
こうして誕生したカープはファンの期待を一身に背負って闘いましたが、創設1年目の成績は41勝96敗1分。なんと優勝チームから59ゲーム差を付けられての最下位でした。それでもカープは広島の希望。トランペットを使った鳴り物での応援、ジェット風船、選手ごとの応援歌。のちに他球団ファンが追随することになる様々なアイデアでカープファンはチームを盛り上げました。また、原爆投下から12年が経過した1957年に旧広島市民球場が完成しナイター設備が整った時、まだ復興の途中で夜は暗闇だらけだった広島の街で、そのナイターの光は天まで高く伸び、まるで鯉が滝を昇るように見えたと言います。過去のコラムでも書いたことがありますが、それを見た祖母は「原爆で犠牲になられた天国の人たちに試合を届けるような美しい光に見えたんよ」と私に伝えてくれました。
8月6日を思う時、そこには「カープの物語」があります。もし広島の人やファンが諦めてカープが無くなっていたら、いま、私たちはどうなっていたでしょう。4年前、あの25年ぶりの優勝、そして3連覇。これほど素晴らしい人生があるのかと喜び、歓喜で泣いた日々。それらを考え、この時期になると、私は「もっと前向きにカープを応援しよう」と思うのです。もちろん、カープがあれば最下位で終わっていい、弱くていいと言っているわけではありません。コロナのせいで野球があることが当たり前じゃない世の中になった。でも、その何倍も苦しい中で作られた、守られてきたカープがある。燃える赤ヘル、僕らのカープがある。
弱い時によく目にするSNSでの様々な批判は、もしかするとこのコロナ禍で積み重なったストレスをカープの敗北や采配、打たなかった、打たれた、そういうところに向けてしまっている部分もあるのかもしれません。一喜一憂が一喜十怒くらいになっているのかもしれません。でも私は、広島とカープが歩んだ道、野球がある喜びを胸に抱いて残りのシーズンを楽しみ、それこそSNSでも積極的に応援していきたい。それはカープを残してくれた先輩たちに対しての「恩返し」にもなるはずだ。そう強く信じ、今回のコラムを書かせていただきました。
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