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 それにしても、何が魅力で移り住んだのか。

「まずは眺望よね。晴れた日は、東京湾のはるか向こうの三浦半島(神奈川県)や富津岬(千葉県)が見渡せる。別の角度だと、富士山もきれいに見えますよ。そして、銀座まで自転車で15分という利便性は何物にもかえがたい」と女性は話す。

中央区役所 ©葉上太郎

 どんな人が入居しているのだろう。女性に尋ねると、「1億円以上する部屋は多くないので、夫婦2人で働けばサラリーマンでも買えるレベルです。子供のいるファミリー世帯が多いみたい。日中は働いているので、あまり顔を合わせません。入居して2年になるけど、一緒に食事に行くのは会社時代の同僚とだけ。これほど大きなマンションなのに、誰も知らないなんて、私のような年寄りには辛いねぇ。そうそう、多いのは中国人。やっぱりおカネを持ってるのかな。日本経済も中国人がいなけりゃ回らないってことね」と笑った。

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人口が4倍以上になった地区は2カ所も

 中央区は3つのエリアに分けられる。江戸の伝統を受け継ぐ日本橋と京橋。そして主に明治期以降に埋め立てられた月島だ。

 晴海2丁目は月島の一角にあり、タワーマンション(タワマン)と呼ばれる高層住宅が林立しているのも月島の一帯だ。

 東京五輪の選手村があるのもこのエリアで、閉会後は改修されてマンションとして分譲される。1万2000人のまちになるという。

 だが、中央区の町丁目別の人口増減を見ると、14.6倍とまではいかなくても、多くの人口急増地区があることが分かる。この10年強で4倍以上になった地区が日本橋エリアに2カ所。3倍以上が日本橋・京橋・月島のそれぞれのエリアに1カ所ずつだ。要するに中央区全域でまんべんなく増えていたのだ。

住家の跡がマンションに変わった町

 これらのうち京橋にある湊(みなと)2丁目は、この10年強で人口が3.2倍、859人が2784人に増えた。

 湊には1丁目から3丁目まである。全て隅田川に面していて、江戸時代は商船の荷揚げ場だった。今も戸建ての民家が残ってはいるが、若手が流出して高齢者だけの世帯が多く、そうした住家の跡などがマンションに変わった。再開発で36階建てなど2棟のタワマンが建った2丁目の伸びには及ばないが、1丁目は1.5倍、3丁目も1.3倍と人口が増えていた。

中央区湊2丁目から隅田川を望む ©葉上太郎

 湊2丁目で自転車店を営んでいる松山賢治さん(88)は湊生まれの湊育ちだ。妻の佐智子さん(81)も隣の入船の生まれで、夫婦そろっての「京橋人」は、今では珍しい。「マンションは住民の出入りが激しいですからね」と賢治さんは言う。

 元の自宅兼店舗は3丁目にあったが、バブル期に27階建てのマンションの建設計画が持ち上がった。予定地はどんどん買収されて、住民は郊外などへ転出していった。松山さんは「自転車屋はここでないと続けられない」と移転を拒否した。が、ポツンと取り残されると、周囲の解体された家に住んでいたネズミが大挙して押し寄せるようになった。たまりかねて隣の2丁目に移り、自宅兼店舗を建て直した。