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ずっと曖昧な立ち位置だった『讃歌』が晴れて「公式球団歌」に

 2000年、『讃歌』は転機を迎えます。この年、速水けんたろうさんが「日本ハムファイターズオフィシャル応援歌」と銘打ってマキシシングルCD『輝け! 未来へ ~Hit & Run~』をリリース。その3曲目にアレンジをリニューアルした『讃歌』が収録され、それ以降、東京ドームでは速水ver. の『讃歌』が流れるようになりました。

 ささきver.から速水ver.へと代替わり。ささきver.に長年親しんでいたので少々寂しくもありましたが、これも時代の流れと受け止めました。そして『讃歌』の収録曲クレジットに「球団歌」の表記はこの時もありません。まるで『讃歌』を「球団歌」とする事を逡巡するかのように。

石川寛門の編曲により行進曲からポップス調へと大胆なアレンジが施された。その変化はイントロパートや「燃える心の あかね雲」のメロディラインの節回しに特に顕著である ©FPM中嶋

 2004年。東京から北海道への本拠地移転に伴い、ユニフォームや球団旗など既存のものが一切合切リニューアルされ、当然、球団歌も新たに作られるだろうと思っていました。宮本毅が歌う『GO!GO!ファイターズ』がリリースされてああやっぱり、と盤を手にしてみると、ジャケには「北海道日本ハムファイターズ公式応援歌」の表記が。『讃歌』はまだ首の皮一枚残っていたのです。

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 そして2007年、新たな速水ver.の『讃歌』が「北海道日本ハムファイターズ公式球団歌」としてリリース。ささきver.の発表から30年、ずっと曖昧な立ち位置だった『讃歌』は晴れて公式に「球団歌」となりました。速水ver. のアレンジを踏襲した、2014年リリースの上杉ver.のジャケにも「公式球団歌」と銘打たれています。

『讃歌』が晴れて「公式球団歌」として発売された記念すべき2枚 ©FPM中嶋

 また、音源発売はされていませんが、2015年にはバーチャルアイドルシンガー・初音ミクの冬季バージョン“雪ミク”歌唱ver.が、2018年には「北海道シリーズ2018 HOKKAIDO be AMBITIOUS」のシリーズアンバサダーに選ばれた北海道出身のロックバンド怒髪天の歌・演奏ver.が、それぞれ制作されてファイターズ主催試合のビジョンで流れました。怒髪天ver.は、バンドの公式YouTubeでアップされています。

オールドファンにとって、怒髪天ver.のイントロ部はささきver.を元にしているのが嬉しい

 

 ところで、インターネットで『ファイターズ讃歌』を検索すると上位にヒットする『ウィキペディア(Wikipedia)』での記述を見ると、カテゴリには「リリース1974年」、導入部には「1974年(昭和49年)発表・制定。」、解説には「1974年の発表時はアニメソングで有名なささきいさおの歌唱で日本コロムビアよりシングルレコードが発売されたが、(後略)」とあります。前述の通り、私は『讃歌』と『それゆけ』は、ともに1977年に制作されたという認識です。1974年は日本ハムファイターズの誕生年、私の記憶と3年もの開きがあります。記憶が間違っている? これはちょっと、いや、かなり気になるので確認しなければなりません。

 球団歌制定という事項について確認するには、前年の出来事を「ハイライト」と題して年表形式で掲載されている球団発行の年刊ガイドブックにあたるのが一番手っ取り早い手段。所持する『ファイターズガイドブック』バックナンバーを引っ張り出してみました。ところが1975・78年発行の版が欠落。特に肝心の1978年版がないのは痛い。ならばと、この2冊については野球殿堂博物館の図書室に出向いてお借りし、前年の「ハイライト」および球団歌の掲載方について調べてみました。

我が家にあるガイドブックのバックナンバー。「あれっ、確か持っていた筈なのに、ない?! 何故だ!」という経験は何度か転居をされた方なら共感いただけるかと思う ©FPM中嶋

 その結果、

1974年版……『それゆけ』『讃歌』ともに特に記述なし
1975年版……『それゆけ』『讃歌』ともに特に記述なし
1976年版……『それゆけ』『讃歌』ともに特に記述なし
1977年版……『それゆけ』『讃歌』ともに特に記述なし
1978年版……「’77ファイターズ・ハイライト 昨年の主な出来事」記事内に「3・12 対中日オープン戦(後楽園)で球団歌「それゆけぼくらのファイターズ」を発表」の記述、目次・奥付ページに『それゆけ』『讃歌』の歌詞を掲載

 1978年版のカラーページには「球団歌発表」のタイトルで「球団の歌「それゆけぼくらのファイターズ」ができて、作曲家の中村泰士さんといっしょに来た歌手のささきいさおさんが元気よく歌ってくれました(3月12日)」のキャプションとともに、ちびっこファンと握手する両氏の画像も掲載されていました。

 なお、お披露目イベント関連の記述については『それゆけ』のみであり、『讃歌』については触れていません。『讃歌』が「1974年(昭和49年)発表・制定。」されたという可能性はまだ残されているので、引き続き調査したいところです。しかし「リリース1974年」と「1974年の発表時は~」という記述は、どうかひとつ、「ウィキ直し!」願います。

【追記】
 このコラムがアップされたその日のうちに、Wikipediaの『讃歌』の記述についてはカテゴリ・導入部・解説がそれぞれ「1977年」に修正されました。「ウィキ直し!」してくださった方に御礼申し上げます。お手数かけました。

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