娘は、私が32歳のときに生まれました。そのとき心に誓ったのが、父を反面教師に、娘の存在や人格を否定することだけは絶対にするまいということ。娘がまだおなかの中にいたときから「ああ、この子にはこの子の心臓がこうして鼓動を打っている。私とは別の人格だ。私の思いどおりにしようと思ってはいけない」と強く感じていて、その感覚はずっと変わらず、個としての娘を尊重してきたつもりです。
娘も「ママはママ、自分は自分」と感じているようで、私が私生活の報道で世間を騒がせたときも、当時まだ高校生ながら、巻き込まれず、グレもせず、ある一定の距離をおいて見守ってくれているようなところがありました。
「ママの娘に生まれたことに感謝してる。でも……」
その後、脳梗塞と乳がんを患い、仕事の喪失感もあって半ば引きこもりになったのは私のほう。そのときも娘はさりげなく私を散歩に連れ出してくれ、手をつないで多摩川沿いを歩きながら「もう立ち直ろうよ。また一から出直せばいいじゃない」、そう言葉をかけてくれたのです。
そんな娘はといえば最近「ママの娘に生まれたことに感謝してる。ママのことが大好きだし、尊敬もしてる。でも、ママみたいな人間になりたいかといったら、そうは思わないな」ですって。
「ええっ、そんなにはっきり言っちゃうの!?」と思いながらも、よくもまあ完璧に親離れしてくれたものだと、どこか頼もしく思えたのでした(笑)。
そして、ひとりの人間として、大人として、自立した娘の姿を見ながら、そう育てたのは自分なんだぞ、という自己肯定力を勝手にもらったりもしています。もちろん、子育てはあくまで結果論。子育て真っ最中のころは仕事が猛烈に忙しく、毎日の料理以外はどちらかといえばおざなりで、けっして賢母とはいえませんでした。親が何をしても、しなくても、子は育つものなのですね。
昔、ある番組でお目にかかった養老孟司先生がおっしゃっていました。「親が子にできることは、衣食住を提供することと、何かあったときに逃げ込める安全な場所を確保することだけ。余計なことをして子の邪魔をするな」。この言葉は子育てを終えた今こそ、本当にそのとおりだと身にしみています。