文春野球コラム読者のみなさま、はじめまして。読売ジャイアンツ・門脇誠の父で寿光と申します。いつも息子に熱い応援をいただき、ありがとうございます。

 誠が内野ゴロをさばくたびに、公園でのノックを思い出します。誠は保育園が終わるといつも公園に直行して、ノックで遊んでいました。街灯の下、短い距離から弱い打球を転がしてやるんです。私は学生時代からソフトテニスをプレーしていたせいか、前後左右あらゆる方向にゴロを転がしていました。

 我が子ながら、「この子の守備は一級品やな」と直感しました。結果的に誠の機敏な身のこなしや低い捕球姿勢は、この時期に身についたのかなと感じます。

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 幼少期には『野球小僧』という雑誌(現『野球太郎』)の天才少年コーナーに投稿して、取材してもらうこともありました。私にとっては誠と2歳上の娘の成長を見守るのが、人生のなによりの喜びでした。

門脇誠 ©時事通信社

“シンパパ”のあわただしい日常

 私はシングルファーザーでした。事情があって離婚せざるを得ない状況だったのです。

 誠が3歳だった頃から、3人で暮らし始めました。料理なんてほとんどしたことがなかったので、3人で迎えた初日は「カレーってどうやってつくるのかな?」と途方に暮れました。一家で順番にインフルエンザにかかった時は仕事を1週間も休むはめになり、上司から「頼むわ」と言われ肩身の狭い思いをしました。

 でも、人間そういう状況になったら意外とこなせるものだと感じます。料理のレパートリーは自然と増えましたし、煮物なら火にかけている間に洗濯を進めるなど、違う家事ができることに気づきました。

 そして、お姉ちゃんは水泳、誠は野球と早い段階で打ち込めるものに出合えたのも幸せでした。お姉ちゃんは小学3年時から本格的な選手コースに入って、平日の夜遅くまで練習に明け暮れました。お姉ちゃんの練習が終わる21時までの時間が、誠と遊ぶ時間になりました。

 前述のノックや、時には勤務先の施設を借りてバスケットボールやバレーボールで遊びました。お姉ちゃんの練習が終わったら3人で帰り、晩ご飯を食べて家事をして寝る。そんなあわただしい毎日でした。

 近所の方からは「きょうだいで別のスポーツをさせたら大変だから、誠くんに水泳をさせたら?」とアドバイスをいただきました。でも、その考えは私には違和感がありました。なんで親の都合に合わせて、子どもがスポーツを限定されなければいけないのか。私は「自分がやりたいものをやるべき」と考え、彼らを応援しようと決めました。

 仕事、家事、育児をすべてこなすことに、みなさんから「大変でしょう?」と心配されました。でも、そんなことはなく、むしろ逆で「『大きく変わる』時なんです」と笑っていました。