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「まるで山本昌さんのような一流投手と戦っているような雰囲気を感じるよ」

 松山さんは父でありマスターの松山武司さんと共に鉄板の前に立ち、ローズ一家に出来得る限りのおもてなしをする。牛肉は地元滋賀県産の黒毛和牛、ベイスターズの星形に彩られた添え物の野菜や牛肉のしぐれ煮など、趣向を凝らした料理の数々にローズ一家が舌鼓を打つ。

「マスター、鉄板を挟んであなたと対峙していると、まるで山本昌さんのような凄い投手と戦っているような雰囲気を感じるよ。あなたの職人としてのサービスは一流のそれですよ」

 ボビーからの思わぬひと言に75歳の武司さんが頬を染める。

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 和やかな空気のまま食事が終わると、やがて誰からともなく持ち寄った秘蔵のベイスターズグッズにサインを頼む流れになる。大量のグッズを前に嫌な顔ひとつせずサインペンを走らせるローズの傍らには、98年優勝メンバーに欠かせない内野のバックアップ要員万永貴司(現・野手育成コーディネーター兼野手コーチ)のユニフォームに着替えた松山さんがいた。

 それを見たローズ氏は「OH! マンちゃん!」と感嘆の声を上げる。

 現役時代、ワンサイドゲームになると、ローズ氏はよく万永氏に頼んで権藤監督の前で「いつでもいけます」とアピールをしてもらったと旧友との逸話を懐かしそうに語ってくれた。

 しかしこの日のローズ氏は途中交代もなく、最後のひとりまで手を抜かず、ひとりひとりとガッチリ握手とハグまでしてくれた。最後に松山さんの母・道代さんに「プレゼントがある」と取り出したものは、ローズ氏のユニフォームだった。

「お母さん、マスクを作ってくれてありがとう。昔着ていた僕のTシャツをリメイクしてマスクにするという発想は私たちアメリカ人にはないものです。これは皆さんが思っている以上に素晴らしいことだと思いますし、もう20年以上も昔のプレイヤーである僕のことをそこまで大事に思ってくれて、私たち一家も感激しました。ありがとう」

ローズ一家と松山一家 ©ベイスターズおじさん

 2000年。キャリアの絶頂期にあって家族や球団のさまざまな事情が重なり退団したローズ氏。その後は野球とは無縁の時期も過ごしたこともあり、今この時代になってもまだベイスターズのファンに愛され続けているとは夢にも思わなかったという。

 きっかけは一枚のマスクだった。20年も昔の古びたTシャツを、大事に再利用してくれる思いを持った人が日本にまだいてくれる。その事実はローズ氏にとって衝撃だった。

 そしてそれは松山さんだけじゃなかった。今年の6月「GetTheFlagシリーズ」で球団から招待されて来日した時も、「23 ROSE」のユニフォームを着た多くのファンの人たちの姿を目の当たりにし、日本には自分のことを今も大事に思ってくれている人がこんなにもいるという現実を目の当たりにし、涙腺が崩壊した。

 現役時代、プレーに集中したくて、野球以外のことは極力避けてきた自分をなぜこんなに歓迎してくれるのか。この人たちの思いに応えなければいけない。ローズ氏はアメリカに帰国後、すぐに夏の日本行きを決め、そこで25年前に後悔として残してきた「ファンの声援に応える」ということを計画。横浜・大阪・そして栗東の各地で出会ったファンひとりひとりを全力で抱きしめた。

 松山さんたちは栗東の地まで足を運んでくれたローズ一家にせめてものお礼がしたいと、英字の寄せ書きを作っていたが、あまりにローズ一家が心を寄せてくれることに感激し、すっかり渡すことを忘れてしまったとか。

「一番大事なものを渡しそびれてしまったんです。でもローズさんはまた近いうちに今度はコーディーさんを連れて日本に帰ってくると言ってくれました。いつかまた、必ず会えると信じています」

 古いTシャツが本人に姿を変えてやってきた。優勝から最も遠ざかっているチームの、かつての英雄とそのファンによる現代のおとぎ話。

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