(ささきあい 女優。1943(昭和18)年、東京都生まれ。高校在学中から劇団文化座の研究生となり、卒業後に入座。デビュー後しばらくはテレビや映画に多く出演し人気を博すが、結婚後は劇団公演を中心に活躍。78年に文化庁芸術祭優秀賞、82年に紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。87年より劇団文化座代表。)
私が生まれたのは、両親が仲間と劇団文化座を結成した直後のことでした。戦争が激しくなる中、幼い私を伯母夫婦に預けて、両親は満州へ巡業に出発。その時の記憶はありません。すぐに戻るはずが音信が途絶え、生きているかどうかわからない状態になってしまいました。だから私は、伯母夫婦のことを「お父さん、お母さん」と呼びながら、写真に写った両親を「これが“本当の”お父さん、お母さんよ」と教えられて育ったんです。
今年創立80周年を迎え、新劇の劇団としては文学座に次ぐ歴史を持つ劇団文化座。その代表で看板女優でもある佐々木愛さん。
愛さんは1943(昭和18)年、演出家の父・佐佐木隆と女優の母・鈴木光枝のひとり娘として生まれた。母は出産後、3カ月ほどで舞台に復帰。45年6月、両親は満州で巡業公演をするため、1歳10カ月の愛さんを夫の姉家族に預けて出発した。しかし3カ月で帰る予定が、満州で敗戦を迎え、混乱で帰国が困難に。両親が引き揚げ船に乗って帰国できたのは、終戦から1年後のことだった。
「本当のお父さんとお母さんが帰ってきたわよ」と呼ばれ、東京の動坂(現・文京区本駒込付近)にあった伯母の家の玄関で、引き揚げてきた父と母を下から見上げたのが、両親との最初の記憶です。
満州で苦労した母は「娘が生きていたら、せめて甘いものを舐めさせてあげたい」と、最後に残していた着物を売って、白いお砂糖に替えて大事に持って帰ってきたそうです。ところが、伯母の家は建築業を営んでいて羽振りが良く、空襲で焼けた家も新しく建てなおし、食べ物も豊富にあった。預けられた私も何不自由なく、暮らしていたんです。
私としては、物心ついて初めて会った両親はボロボロで別世界から来た人というのが正直な印象でした。その夜、親子で川の字になって寝た時に、初めてなのに「違和感はないな」と感じて、「これが本当のお父さんお母さんなんだ」と思ったことを覚えています。
父は演出家、母は女優。しかし、演劇の道に進むつもりはなかった
帰国してすぐ両親は劇団活動を再開。娘を預けたまま日野市豊田に一軒家を借り夫婦だけで暮らし始めた。
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source : 週刊文春 2022年11月10日号