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 金沢で生まれ育った北村さんは、10代から20代にかけてアメリカ大陸やヨーロッパなど、様々な場所を旅してきた。その後、資生堂の企業文化誌『花椿』やCMでのスタイリングを手がけていたが、松田優作の指名で『それから』の衣裳製作を担当し、映画衣裳を手がけるようになった。

映画は無駄をやるんだってことを知った

――『それから』の後は『キッチン』(1989年、監督・森田芳光)、『幻の光』(1995年、監督・是枝裕和)、『東京日和』(1997年、監督・竹中直人)、『あ、春』(1998年、監督・相米慎二)などのスタイリングを手がけられます。

北村 映画っていうのは無駄をやるんだってことを知りました。リハーサルなのに、カメラをジーッと回してるとか。ジーッと音がしてるから、「あれ、カメラが回ってる。なにかおもしろいことが起こってるのかな」とスタッフは気づくんだけど、エキストラは気づいていなかったりね。こういう遊びがないと、映画のすごいワンシーンって生まれないと思う。

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――『あ、春』は、相米慎二監督が遺作『風花』のひとつ前に撮られた映画でもありましたね。

北村 相米慎二監督は、すごく尊敬していた人です。神楽坂に、シナリオ書くために泊まってる旅館とかがあるんですよ。けっこう美食家で、まわりに集まってくる人たちと若松町で飲み食いしたりして、なぜかわたしが支払うことになっている。そうやって人から引き出していくタイプなんですよ(笑)。

『双生児 -GEMINI-』独特の仄暗いビジュアルの裏事情

――1999年の塚本晋也監督作『双生児 -GEMINI-』では、大きな頭の女性、眉なしのメイク等、独特で仄暗いビジュアルが登場しました。

北村 あれは、幼少期に金沢で見てきたものが結構入ってますね。母や叔母が、モヤモヤした毛みたいなものをクッと入れて頭を大きくしたり、口紅をふわっとつけたり。「ああいうことを大人はやるんだ」って盗み見て、あとで自分でもこっそりチーって口紅塗ってみたりね。大人の女たちが化粧している風景って、見ちゃいけないような背徳感があるから美しい。

 でも、『双生児』は、とにかくお金がかかりましたよ。

 

――衣裳費ですか?

北村 そう。盗人が金持ちの家に盗みに入るシーンがあるんですけど、明治時代の話だから、盗人が泥棒に入るのは江戸時代のオールドマネーがあるお家じゃないですか。そういうことを計算すると、食器は古伊万里や古九谷、布団も着物もお金持ちのじゃないと変でしょう。

 そういうものを借りてくるだけでお金がかかるし、着物の刺繍が引っかかっちゃって、美術館から借りたディスプレイが買い取りになっちゃったりとかね。終わったから話せるようなもんで……。

――『双生児』では、浅野忠信さんともお仕事されていますよね。

北村 そうですよ、まだロン毛のとき。あの頃の浅野くんってパンクロッカーで、親父に言われて映画に出てるだけだから、好きでやってる顔じゃないのよ。

 ポッケに手を突っ込んだまま出てくる、あの感じが好きで「浅野くんをだせないか」って塚本さんに掛け合ったの。「俺も浅野くん入れたい。衣裳も自由にしていい」と言ってもらえたので、上野で入れ墨柄のTシャツを50枚くらい買って、縫い合わせて浅野くんに着せました。