『それから』(1985年、監督・森田芳光、主演・松田優作)、『双生児 -GEMINI-』(1999年、監督・塚本晋也、主演・本木雅弘)、『殺し屋1』(2001年、監督・三池崇史、主演・浅野忠信)、――独特のビジュアルで観客を引き込む映画に携わってきた、日本を代表するスタイリスト・北村道子さん。12月10日に、前著『衣裳術』(リトルモア)から10年ぶりに『衣裳術2』(リトルモア)を上梓した。
10代の頃から、カナダ、アメリカ、メキシコなどアメリカ大陸、アフリカ、ヨーロッパ、ユーラシア大陸等、様々な場所を旅していた。その後、名優・松田優作の指名で映画の衣裳制作を手がけるようになる。
北村さんは著書『衣裳術』で『それから』撮影時の松田優作とのエピソードを以下のように語っている。
「撮影後半、松田優作と徹底的に喧嘩になった。エンディングのシーンで、彼は白の帽子に白のスリーピースを着たいと申し出た。わたしは断った。それは鈴木清順の映画に思えたから。『じゃあ、おまえ一週間後にそれよりイケてる衣裳をもってこいよ!』と言われて、『わかったわよ!』って言いつつどうしよう……と思ったそのとき、コム デ ギャルソンに辿り着いた。前身ごろがふたつくっついているジャケットに。(中略)それを見て、松田優作は降参したの。それから松田優作との距離は縮んだ。」
異色の経歴と人生観、映画観を伺った。
ゴミ箱を漁って見つけた学ランを内田有紀に着せた日
北村道子さん(以下、北村) わたしもちょっと深いんですよ、文藝春秋は(笑)。
――えっ、どういうことですか。
北村 昔、文藝春秋に「マルコポーロ」という雑誌があったでしょう。そこである写真家と一緒に撮影してたの。カバーのスタイリングを数回やったんです。23区内のゴミ箱から洋服を漁って着せたのを覚えてる。
――ゴミ箱を漁ったんですか。
北村 漁ったんです。杉並区では学ランが見つかったんですよ。それを内田有紀さんに着せて、内田さんが胸のところに何かぶつかるって言って、こうやったら(胸のポケットに手を差し入れる仕草をする)ハーモニカが入っていた。
――えーっ。
北村 それで出てきたハーモニカを吹きはじめて、彼女はなぜか涙が出てきたんです。写真家はその瞬間をパッと撮った。おもしろくない?
――めちゃくちゃおもしろいです。
北村 わたし、ずっとそうなんですよ。スタイリストっていうより、写真がおもしろければいいじゃないって発想。
現場にはあらゆるものを持っていく
――北村さんは、現場にいろいろなものをお持ちになると聞きました。
北村 意味不明なものをね。かつては若かったから。風船と自転車のタイヤの空気入れを持っていって、モデルに風船に空気を入れさせたり。
必死に空気入れてるところを、カメラマンに「たまに顔をあげさせるのはどう?」って言って、モデルが苦しくなって「うわあー」ってなったら、呼びかけてハッとした表情を撮る。顔をアップで撮ってほしい、風船は撮らなくていいって。
――小道具は撮らなくていいんですか。
北村 うん、アップがほしいがためにそれを一生懸命やらせる。モデルは必死になってるから、絶対あり得ないポーズをするじゃない。そういうのが写真のヒントになるんじゃないかな。