編集者から「小説は魂の叫び」と言われて
本谷 救われるには、救われるだけの追い詰められたところにいなきゃいけないんだけど、自分はそういう環境にはいなかったんですよね。そこそこ恵まれた環境だったから、そういう時に救いの手があっても、特に必要としてないし。
でも小説に救われなくちゃいけないんだと強迫観念のように思っていました。でも、こんなこと言って本当にいいのかな。
――いいんじゃないでしょうか。苦悩する人が描かれて、それで読み手が救われるものが小説だというイメージはあまりに偏っていますもん。
本谷 そう、ずっと呪いにもかかっていたの。10年間。ある編集者から、ずっと「魂の叫びを書かなきゃいけない」「魂の叫びを書かなきゃいけない」って言われていたんですよね。私はそれこそ小説のことをよく知らないでこの世界に飛び込んで、その人は雛鳥である私にとっての親鳥みたいなものだったので、小説=魂の叫びっていうイメージが出来上ったんです。そうじゃないんだなと分かってからも、なかなかそれが抜けなくて、抜けるまでに10年かかったんですよ。その間、ずっと、魂が叫んでいない人間は何を書けばいいの? って思っていました。だからあれはやっぱり呪いだと思う。
――なんと罪深い……。
本谷 それから抜けた時期と、作品が自由になりはじめた時期が繋がっているんです。どこかで吹っ切れたんですよね。
いろんな人との出会いがあったんですよね。いろんな人にふと言われた言葉が抜け出すきっかけにもなりました。ある時にある人に「誰にでも分かる言葉で書くのが本谷さんの魅力なんじゃないの」と言われた時に、あっそうかもね、とも思って。それからとぼけて書くことでどこかにアプローチするという書き方も受け入れるようになったし。その呪いが徐々に解けていく行程があったんですよね。
たぶん小説にもいろんな小説があって、書き方も本当に作家の数だけあって。得意とする書き方も作家によって全然違う。私は重くて息苦しくて魂が叫ぶことよりは、飄々として書くほうが合っていたのかもしれません。
――『ほんたにちゃん』や、はじめて芥川賞候補になった『生きてるだけで、愛。』(06年刊/のち新潮文庫)では、行き詰ってなぜか屋上で全裸になってしまうような女の子を書いていた本谷さんが、飄々としているのが合っている、に辿りつくまでって、相当な道のりだなあ、と。
本谷 ほんと、すごい話(笑)。飄々としはじめてから楽になりました。楽に書いていいんだと思えるようになりました。切実な気持ちでいるのは今も変わらないけれど、でも叫ばなくても、いろんな叫び方があるって分かりました。別に声を張らなくてもいいんだっていう。テレビを見ながら笑って、ボソッと言っても、それも叫びになる。そういうことに自分が気づいたんですよね。10年もかかって(笑)。