飲み会の場で文庫本を読む!?
――やはり主人公のほんたにちゃんは本谷さんご自身がモデルですか。ほんたにちゃん、みんなが集まる飲み会の場で、あえて本読んだりしてませんでしたっけ?
本谷 そう(笑)。あれは結構実話も入っていて、私も飲み会で文庫本を読んでいたんですよ。もう自意識が強くて、私はみんなと違うのよっていうアピールを必死でやっていて、何が違うのかも分かっていないんだけれど、とにかくそうしなきゃと思ってたんですよね。何かにならなきゃと思って東京に出てきて、その何になるかが自分で分かってないから、飲み会の場で文庫本を読むという奇行に走って(笑)。だから本当に学校で笑い者だったの、私。また本谷がヘンなことしてるよみたいな感じを、たぶんみんなが思ってた。
――でもそれをああいう面白い小説にできるということは、客観性が絶対にあったはずですよね。
本谷 そうですよね。客観性がありながらも、同時に人ってああいう痛々しいことができちゃう。どこかで滑稽だと分かっているんだけれど、なんかヒリヒリしたものが上回って、それに突き動かされてしまう。あの19歳の時の自分が一番ヒリヒリしていたなと思う。あの小説は一番はじめに読んだ子が怒ったみたいに、結局どこか漫画っぽい小説を書いたなと思っていたんです、それからの数年。でも最近何かで読み返した時に、ものすごく突き抜けているから、読みようによっては文学的にも読めてしまうなと思ったことがありました(笑)。
――もともと本谷さんは10代の頃、漫画などエンタメ作品もたくさん読んでいるし、少なくとも純文学にどっぷり浸かってはいませんでしたよね。純文学を書こうという意識はあったんですか。
本谷 なかったですね。どちらかというと、そういうもの全部に鼻白んでいた自分がいます。自分はあくまでごちゃごちゃした演劇畑の人間だから、すごくざっくり言ってしまうと、きれいですましたもんなんか書くもんか、という。自分の出身を偽っていちゃいけないと思っていたんです。だからごちゃごちゃした、うるさくて、軽くて、というものを書いてやるって、どこか反抗的な部分があったんですよね。高尚ぶったものや、お行儀のいいもんなんか書いたってしょうがないやと思って、しばらくケンカするような気持ちで書いていました。その時は、小説というものをただ自分の中にあったイメージだけでくくっていたんですね。
当初は何を書いても「演劇の人が書いたものだよね」と言われていたので引け目もありました。演劇の人が書いた小説って、なんか馬鹿にされているような気もあった。でも自分自身も、小説についてのインタビューを受ける時なんかに「自分はもともと演劇をやっているので」って必ず言っていましたね。ある時からそれはダサいなと思ったの(笑)。「演劇をやっているんで」と言う自分がすごく格好悪いなと思って「そんなこと言わなくてもいいじゃん」って気持ちになって、言い訳しなくなったんです。そう、言い訳だったんですよね、どこかで。そこからなめられまいとする気持ちもなくなって……。
――それはいつくらい、どの作品のあたりでしょう。
本谷 結構ずっと言い訳していたんですよ。『あの子の考えることは変』(09年刊/のち講談社文庫)くらいまで。だからわりと近々まで「演劇の人間なんで」って言っていた気がする。自分でも無意識に。
――でもそれまでも、女の人の自意識を扱いながらも、いろんな書き方に挑戦していましたよね。
本谷 一応トライはしていますよね。でもやっぱり、小説ってこういうものでしょ? という決めつけた中でのトライだったから。ある同じイメージからずっと抜けられていなかった気がする。
私、全部後からなんですよ。演劇も観たことがないのにやり始めて、後から観るようになって。小説もあまり読んでないのに書きはじめて、後から読むようになって。それで読む量が増えていった時に、あ、小説ってなんでもありなんだなと、思い込みがどんどん崩れていったんです。結局それが一番大きかったかなと思ってるんですけどね。