文春オンライン

小説を書きたいとか戯曲を書きたいということもなく、文字数を増やしたいという意識でした――本谷有希子(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/03/27

genre : エンタメ, 読書

note

未知の流れに身を委ねてみようと思う

――ところで、戯曲も今後書かれる内容は変わってくるのでしょうか。今、劇団の活動は休止されていますが。

 

本谷 小説はようやく自由性というものの掴み方を、なんとなく分かり始めているんですけれど、戯曲のほうがまだ掴めていなくて。どうしたら戯曲という舞台の中で自由になれるのかということが分かっていなくて、小説と同じように掴みたいと思っているところです。もしかしたら今、演劇という表現で考えていることが、もう不自由なのかもしれない。もうパフォーマンスというふうにとらえていいのかも。劇場という場所も、お客さんが椅子に座って舞台で何かをするという枠すらも、もしかしたらもう要らなくて、別に室内である必要もないし、人と同じく主役になるぐらいの場所を自分で探してきて、そこから何か生んでいくとか……。いろいろ模索していくつもりです。

――6年前に「作家の読書道」でインタビューした時は、戯曲よりも小説のほうが書き方が分からないとおっしゃっていたから、ああ、正反対になったなあ、と。

ADVERTISEMENT

本谷 ほんと。逆転しちゃった。戯曲の書き方のほうが、まだ価値観を壊す体験をしていないので。戯曲は別に呪いの言葉もないんですけれど(笑)。今、演劇の世界がどんどん自由になっているから、それを見ると、やりようはいっぱいあるなと思います。

――本谷さんは変化を恐れていませんね。

本谷 サンちゃんが怠惰に流されるのと同じで、私もとにかく周りに流されやすい(笑)。昔はどこか知らない場所に流されるのが怖くて結構踏ん張っていたんですけれど、今はどこまで流されてもいいやという(笑)。ある意味、もうそこに委ねようという意識に変わってきています。そこで変な方向にいったら変な方向に行った、だし。溺れたら溺れるだけの器だったんでしょう、まあいいじゃん、という。だって誰にでも流れが来るわけじゃないから、そういうものに対しては、積極的に乗っていこうと思います。それに自分という船の強度が耐えられるか耐えられないかですね。

 今回の芥川賞も、私の中ではひとつの流れだったと思っています。自分を取り巻く環境が刻一刻と変わっていくこともそうです。自分が「いや、私は今までの私でいる」と言っても、人が私に抱くイメージは変わっていくでしょう。なのに「私そういう人間じゃないんで」と言ってコントロールするのもどうかな、って。昔はコントロールしようとしてました。23歳の時に、一瞬ふわっと周囲が賑やかになった時があったんです。その中で誰のことも信用せずに、この流れに乗るとどこかで飽きて捨てられるんだと思って踏ん張っていました。でも今は別に、流れが来たら乗れるだけ乗っちゃっていいんじゃないかなと思う。その点でも、最初にも言いましたが、これまで3度落ちておいてよかったと思いますね。

――今後はまだお子さんも小さいですし、少しずつ、書き進めていく予定ですか。

本谷 ああ、受賞して変化したこととして、書かなきゃなっていう気持ちになりましたね。前はしばらくは子育てして、ちょっとゆっくりして、と思っていたんですけれど、なんかそんなこと言ってられなくなっちゃった。はやく書きたいと思うようになりました。今だって私、机に向かって、赤ちゃんを抱えながら原稿用紙に書いているんです。

 今後書いていきたいものもありますが、私、だいたい次に書きたいと言ったことが小説にならないんですよね(笑)。結局違うことになっちゃう。ただ、今の生活をしていくなかで積み重ねていった、ふとしたことから始まるものになるだろうと思ってます。今は「なんだか」探しをよくやっています。「なんだか嫌だな」とか「なんだかいいね」の「なんだか」です。「なんだか薄気味悪かったの」の「なんだか」を書いていくのが私にとっての小説だと思っています。