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読書体験はピョンピョンと飛び石のように

――小説はどういうものだと思っていて、何をどう読んで変わっていったのでしょう。

 

本谷 それが漠然としているんですよね。小説というものが混然一体となった、抽象的なイメージみたいなものがあって。たとえば『罪と罰』も主人公が葛藤し、いろんなことが起こるというだけのイメージだった。あれは本当はすごい小説ですけれど、中学生の時に読んだきりだった私にはそこまで全然分からなかったんです。

 それが、少しずついろんな小説を読むようになって、そのうちアフリカの作品を読んだり、SFのほうにいったりしていると、なんかこういう感じで書きたいな、と思うようになってきたんです。悩んだり苦しんだりするのなんて、少なくとも自分の中で掘り返してもたかがしれてるから、そうでないものを書きたいわと思ったんです。

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――アフリカの小説といえば前にチュツオーラの『やし酒飲み』(土屋哲訳/岩波文庫ほか)の話をうかがったことがありますが、ほかには? それと、SFはどのあたりを?

本谷 私ねえ、読んでも本当にすぐ忘れちゃうんです(笑)。でも、アフリカの人の書いたものではないですけど、ディネセンの『アフリカの日々』(世界文学全集1-8、横山貞子訳、河出書房新社ほか)は面白かったですね。SFはヴォネガットとか、シオドア・スタージョン。それと、ダークファンタジーのジョナサン・キャロル。ひとりの作家をじっくり読むというよりは、本のあとがきに載っている、その作家の影響を受けた作家をピョンピョンと飛び石みたいにして読んで、ある系統を辿りつつ寄り道をしていました。

――飛び石で読んだからこそ、いろんな刺激に巡り合えたという。

本谷 そうですね。本当に小説というものの一部ですけれど、そうやって水流を辿っていき続けてみたら、みんな、とても自由だったんです。私が小説だと思い込んでいたものって、本当に小説のごく一部だったんだなっていう。だからやっぱり、読書体験がすごく大きかったですね。もっと早くから読んでおけっていう話ですけれど(笑)。

――『あの子の考えることは変』あたりで考え方が変わって、その後11年の『ぬるい毒』で野間文芸新人賞を受賞されるわけです。自由になっていったら、周囲の評価も変わっていった感じなんでしょうか。そこから次の『嵐のピクニック』で大江健三郎賞、次の『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞、その次が『異類婚姻譚』で芥川賞という。

ぬるい毒 (新潮文庫)

本谷 有希子(著)

新潮社
2014年2月28日 発売

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本谷 本当にそこからなんです。時間があいているので、のろまですけれど(笑)。でも『ぬるい毒』はまだそんなに自分のなかで、小説の自由性を意識していなかった頃ですね。それまで持っていた小説というイメージをひきずったまま書いている最中だったと思います。ただ、そろそろっと抜け出しつつある、思い込みが崩れつつある最初の段階ですね。

――そこから着実にね。自分のなかの感覚の変化を、時間がかかろうと、ちゃんと小説に反映できているってことですよね。

本谷 小説って面白いなって思った感覚とリンクしている気がします。

――それまでは面白くなかったということですか(笑)。

本谷 なんかピンとこなかったんですよね。苦しいイメージがありました。自分が悩んだり苦しんだりしている主人公に、そんなに共感しなかったんですよね。自分の人生って、もっとのっぺりしていて。

 だから本当にコンプレックスを言ってしまうと、小説に救われたという経験がないんですよ、私。

――小説を読んで「まるで自分のことが書かれているようだ」と思ったこともない?

本谷 そう、今まで読んできたものにはなくて。でもそれって、小説を書いていく人間として本当に致命的なことのような気がする。かといって、自分はもう多感な年頃でもなくて、どんどん鈍感になって図太くなっている。そんな自分が今読んで、そこまで救われるような、人生を劇的に変えるような経験ができるのかなと思ったら、ちょっと……難しいですよね。だから私が描くものは小説に救われたことのない作家が書く小説なんです。

 でも私が読んで面白いと思うのは、別に悩んでいる人とかが出てこない小説なんですよね。それよりも、思いもよらないようなものを持ち込んでくれる小説だったりする。そういうものと出合った時に、こういう小説があってもいいんだ、こんな感じだったら自分も楽しく書きたいというふうに思ったんです。それで、イメージとしては小説と戯れるようになりました。

――すごく分かります。