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羽生善治少年が一度だけ泣いた日――さよなら、八王子将棋クラブ

羽生善治少年が一度だけ泣いた日――さよなら、八王子将棋クラブ

名門道場の席主に聞く#1

2019/01/18

羽生少年との出会い

 思いきって飛び込んだ将棋の世界。八木下さんはお客さんが楽しめるような企画を考えた。自分が通っていた将棋道場ではやっていなかった、トーナメントやリーグ戦を積極的に行った。その甲斐もあって、どんどんお客さんや子どもが増えてきた。

 1978年の8月、道場の1周年記念で参加費無料の小中学生の将棋大会を企画する。これが羽生少年との出会いを作った。八王子周辺のミニコミ誌「ショッパー」に出した告知を見て、小学2年生の羽生が参加したのだ。

「道場を開く1年前に、羽生さんが所沢から八王子に引っ越してきて、小学1年で同級生から将棋のルールを教わって、私がたまたま大会をやったら、羽生さんが参加した。そういう出会いというのは、私にとっては奇跡に思えるんです。この広い宇宙のなかで、時間と空間がぴったり一致して、出会ったのがね」

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大事にとってあった羽生少年の写真。カープの赤い帽子をかぶっている

「今日はひとつ上がったよ」とお母さんに報告していた少年

 羽生少年はこの大会を1勝2敗で早々に敗退している。だが後日、八王子将棋クラブに母親とやってきた。

「『この子は将棋が好きでたまらないから、教えてやってくれませんか』と、お母さんが連れてきましてね。羽生さんは本当に遠慮がちで、お母さんに背中を押されて、もじもじしながら入ってきたのを覚えています。実力は駒の動かし方を覚えたばっかりでしたけど、弱いなりに筋の良い手を指すんですよ。あ、この子はモノになりそうだなと感じたのは確かですね。

 うちで一番下の級は7級ですが、それぐらいだと負けてばっかりで、将棋の面白さがわからずにすぐ辞めちゃう子も多い。羽生さんは見込みがありそうだから、わざと15級からのスタートにしました。ある段階まで、勝ち負けに関係なく、私の判断でひとつずつ級を上げていったんです。認定証を上げると楽しそうでね、お母さんが迎えに来ると、ドアの外で『今日はひとつ上がったよ』と報告していました」

 羽生家は八王子の郊外にあり、毎週末は買い物のために車で40分ほどかけて駅前に出てくる。家族が買い物する間、羽生少年は将棋道場で将棋を指し、夕方になると親が迎えにきた。