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羽生善治少年が一度だけ泣いた日――さよなら、八王子将棋クラブ

羽生善治少年が一度だけ泣いた日――さよなら、八王子将棋クラブ

名門道場の席主に聞く#1

2019/01/18

「森内くんを連れて行っていいですか」

 大会では、後に棋士になる少年達ともよく指している。タイトル戦で16回も戦った、同い年の森内俊之九段(十八世名人の有資格者)もその一人。1981年8月、八木下さんの主催で、第1回東京都下小学生名人戦が行われた。前日、「森内くんを連れて行っていいですか」と羽生少年から八木下さんに連絡があったが、参加資格が多摩在住のため、森内少年は大会に参加できない。羽生少年が優勝しても、森内少年は見学しかできなかった。八木下さんはそれを不憫に感じたため、翌年の大会の参加資格から多摩在住を取り外す。すると、決勝に進んだのは羽生少年と森内少年。森内少年が横歩取りの激戦を制し、優勝を決めている。

 1981年10月、五段に昇段。アマチュア時代の最大の棋歴は、1982年4月に第7回小学生名人戦で優勝したことだ。解説は、後に羽生と数々の名勝負を繰り広げる谷川浩司現九段が務めた。

「小学生名人戦の準決勝・決勝はNHKで収録されるので、人に道場を任せて見にいったんです。決勝で、羽生さんが1回出た銀を引いたんですよ。それが出たとき、『ああ、こういう手があるんだ。間違いなく勝つ』という確信があって、最後まで見ないでNHKのスタジオから出て行ってしまいました。終盤は間違える子じゃないからね」

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(右上)前列右から2番目が森内少年。前列左端が羽生少年。(右下)森内少年と羽生少年の対局
羽生少年が作った飛車が“3枚”の詰将棋

毎年1回の指導は道場の閉所まで続いた

 1982年の秋、羽生は二上達也九段門下で奨励会を受験し、合格する。このことから「小学生名人戦で優勝するのがプロ入りの条件だった」とよくいわれるが、八木下さんによれば誤解だという。奨励会を受ける前年の夏、佐瀬勇次名誉九段から弟子入りを誘われたが、12月に二上九段門下になると話がまとまり、優勝に関係なく奨励会を受ける予定だった。

 奨励会に入ってからは、あまり道場に来なくなった。1985年12月、羽生はわずか15歳2カ月の中学校3年生でプロ入りを決める。当時、加藤一二三、谷川浩司に続き、史上3人目の中学生棋士だった。

 天才少年は期待通りの活躍を見せる。1989年、19歳で初タイトルの竜王を獲得。1996年にタイトルの七冠独占を果たした。

「羽生さんが七冠を取ったときは道場のピークで、土日は100人以上、来ていました。その前後、5、6年が最高でしたね。当時はぎゅうぎゅうで、盤が空くのを待つお客さんの立ち見がありましたし」

 2017年に「永世七冠」を達成。平成の時代を、羽生は第一人者のまま駆け抜けた。それでも、羽生と八木下さんの付き合いは変わらなかった。毎年1回、八王子将棋クラブで行う指導は、中学生で棋士になってから道場が閉所する年まで続けた。

 

写真=小島渉

#2へ続く)

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