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特集観る将棋、読む将棋

空前の将棋ブームのなか……名門道場「八王子将棋クラブ」を閉じる理由

名門道場の席主に聞く#2

2019/01/18

 羽生善治少年が通い詰めた八王子将棋クラブ。10人以上のプロ棋士を輩出してきた名門道場が昨年12月24日に41年の歴史に幕を下ろした。藤井聡太七段の活躍もあり、将棋ブームが訪れているなか、なぜ閉所を決断したのか。席主(道場の運営者)の八木下征男(やぎした・ゆきお)さんに聞いた。 (全2回の2回目/#1から続く)

八王子将棋クラブ席主の八木下征男さん

◆◆◆

1987年にいち早く「禁煙」にした

 八木下さんの道場運営は「みんなを楽しませる」とシンプルだが、マメで粘り強い性格と器用な手先が丁寧なサービスを生み出した。

 例えば、オープン5年目から始め、道場を閉鎖するまで発行した、週刊の「八将タイムス」。通算で1570号を超えた。道場の様子、2、3カ月かけて行うリーグ戦の途中経過をこまめに伝えれば、お客さんの来る回数が増える。手書きでやっていたので、腱鞘炎になったこともあった。

 バブルの終わった頃はよい物件がなく、工場の跡地で鉄骨がむき出しの場所で営業したこともあった。1987年10月にオープンした最後の移転先は、雑居ビルの3階で室内が26坪と広い。そして、これを機に道場内の禁煙を決断する。女性や子どもが来やすいようにするためだが、当時の主流客は男性。将棋は手持ち無沙汰になりやすく、格好の時間つぶしになる煙草を禁止にすることは、男性客の売り上げに大きく響いた。

「禁煙は、おそらく全国の道場で初めてだと思いますよ。禁煙にしてから数カ月はお客さんが3割減りましたし、怒られたこともあります。でも、自分で決めたことだから、貫かないとだめだと思ったね。八王子で禁煙運動をやっていた高校の先生がすっ飛んできて、禁煙の団体に推薦するからって、賞をもらったことがあります。でも、その先生から『正直なところ、禁煙の店は10年早いんですよ』といわれました。いまは禁煙が主流になりましたけど」

雑居ビルの3Fにあった道場

女性も子どもも楽しめる道場

 それでも禁煙の辛抱は実り、売上は徐々に回復していく。1993年10月、ひろ子さんと結婚。道場を手伝ってもらってから、子どもだけでなく女性が増えた。

「昔は女性が来ると珍しいから、男の人が周りをぐるっと囲んで見ているんですよ。女性はその視線に耐えられなくなって、来なくなっちゃうんです。うちの女房が道場を手伝うようになってから、女性が増えました。女の人が将棋道場に入ってくるときは、恐々と入ってくる。男の人もそうですからね。だから、女性にはなるべく入り口近くで指してもらって、入りやすい雰囲気にしたんですよ。ちなみに女房は駒を握ったこともなくて、ゼロから教えました。長くやっていると何とかなるもんで、いまは二段です」

八木下さんが自ら作っていた『八将タイムス』は1570号を超えた

 道場の経営が思わしくないときもある。それでも、八木下さんの子どもたちへの思いが変わることはなかった。

「一時期、景気が悪いときがあってね。それでも子どもの大会だけはやってやろうと思ったけど、トロフィーを買うには予算が足りなかった。それで自分でチャンピオンベルトを作ったんです。小学生の低学年、高学年、それから中学生。結構、好評だったんですよ。親父が家具職人をやっていたので、見よう見まねでね」

 八木下さんは、お客さんに何か特別なトレーニングを施したり、マネジメントしたわけでない。ただ、お客さんが将棋に気持ちよく向き合えるように、お客さんの顔を見ながら、居心地のよい環境をマメに整備してきただけなのだ。だからこそ、お客さんが自分のペースで将棋を楽しむことができたのだろう。

八王子将棋クラブの決まり。1987年には禁煙にしていた