「『八王子将棋クラブ』は私の一代で終わります」
道場の閉鎖は、数年前から考えていた。
「道場を畳むことを考えたのは、4、5年前にビルの建て替えや売却の話が出てから。人工透析を8年ばかり続けていますし、最近は仕事が遅くなったので、75歳ぐらいでやめようと思っていました。女房ともとことん話し合いました。昨年に羽生さんや中村太地さんに話したら、『八木下さんの意思を尊重します』といってくれましたよ」
名門道場の閉鎖とあって、その話はすぐにニュースとなって飛び交った。見知らぬ人から「道場を継ぎたい」と電話がかかってきたこともあったという。だが、八木下さんの決意は揺らがなかった。
「『八王子将棋クラブ』は私の一代で終わります。師範のところに、棋士の名前がありますよね。それをそっくりいただこう、というのは無理なんですよ。棋士のみなさんは指導対局に来てくれますけど、私からお願いしたことはないです。私と人間的な関係で、ほとんどボランティアで来てもらっているようなものなんです。私はいじわるしているんじゃなくて、心まで売れないんですよ。盤駒はあげてもいいんですけど」
「将棋をやってきて、よい人生でした」
記者が取材したのは12月17日。羽生のタイトル100期と無冠が懸かる、第31期竜王戦七番勝負第7局は3日後、道場の最終営業日は7日後に迫っていた。
道場は少しずつ、片づけられていた。段級とお客さんの名札が掲げられた「名札番」の横には、師範として「羽生善治」をはじめとする棋士の名札がかかっていたが、記者が取材したときはもうなかった。
最後に「八王子将棋クラブは、八木下さんにとってどういう存在でしたか」と尋ねた。
「将棋をやってきて、よい人生でした。色々な人に助けられました。道場をやったことに悔いはありません。みんなで楽しめる道場、それだけです。ただ場所だけ提供して、対局の組み合わせもやらない道場もあるんですよ。そうじゃなくて、将棋に意欲的になれるように楽しい道場にしようと、常に考えてきました。それが羽生さんと知り合って、ここからプロが出るなんてことは、夢にも思わなかったですね」