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平成の大ベストセラー『国民の歴史』の西尾幹二が語る「保守と愛国物語への違和感」

“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #1

2019/01/26
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「過去」と「歴史」を一緒に考えるのは根本的な間違い

――『国民の歴史』は、教科書的な事実の羅列ではなく、その「物語化」に重きを置いたものだと思います。この「物語としての歴史」は、現在ベストセラーになっている百田尚樹さんの『日本国紀』にもつながりますが、まずは西尾さんの考える歴史と物語の関係とはどういうものなのか、あらためてお聞かせください。

西尾 そのためには、さきに私の考える「歴史」の定義をお話しした方がよいでしょうね。私がまず申し上げたいのは「過去」と「歴史」を一緒に考えるのは根本的な間違いであるということです。過去というものはもはや動かないものですね、一度起こったことは不可逆。たとえば人生におけるなんらかの事故で失明という災いが生じれば、それはもう元には戻らない出来事ですね。

 

――それが「過去」。

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西尾 そうです。しかし、人は動かしようのない過去に対しても心を動かします。人生の災いに対して自殺するほどの苦しみを感じるかもしれない、あるいは事故の責任を他に求めて社会的正義を訴えようとするかもしれない。あるいは時が経って事故を神が与えた試練ないしは慰めとさえ感じ、宗教的に浄化させるようになるかもしれない。ある出来事に対する人の心の動きは、その時その時によって違うわけです。その心の動きによって変わって見える過去が「歴史」です。つまり「歴史」とは動くものなのです。

実証か物語か、私に言わせれば、どっちも全くの間違いです

――『国民の歴史』では、それを絵画にたとえて説明されていましたね。

西尾 葛飾北斎、あるいはセザンヌですね。北斎は「富嶽三十六景」で様々な富士山を描きました。また、セザンヌは北斎から想を得ながら「サント・ヴィクトワール山」の連作をやはり36枚描きました。いずれも対象は「動かない山」。山が厳然とそこにあることは「過去」の存在の仕方に似ているでしょう。しかし、北斎もセザンヌも、その「動かぬ山」を春夏秋冬、朝昼晩の時間変化を取り入れて、実に様々に描き出した。この、「私たちの目に光景として映じる山の映像」こそが「歴史」。ですから、歴史家がやるべきこととは、北斎やセザンヌが挑戦した山の描き方なのです。

――歴史を書くことをめぐって両極端な立場があります。ひとつは、動かない史実しか書いてはならないという立場で、もうひとつは、歴史は物語だから自由自在に書いていいという立場です。「実証か物語か」と言われることもあります。

西尾 私に言わせれば、どっちも全くの間違いです。歴史を書くということは、「縛られながらも自由」という姿勢でなければならないと私は考えているから。

 

 変化する山の姿でお話ししたように、歴史はこちらが動く度に違って見える「光景」(シーン)です。その限りでは「物語」に近いですね。けれどもこの物語は無数の客観的な事実に縛られています。この事実は「年代記」と言ってまだ「歴史」ではありません。しかし、それを踏まえなければ「歴史」にはなりません。「歴史小説」ではあっても「歴史」ではない。

 ただ客観と客観を並べるだけではやはりダメです。年代記と年代記を結合させ、大きく構想する何らかの想像力が動き出さなければなりません。構想力は創造力でもあります。