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平成の大ベストセラー『国民の歴史』の西尾幹二が語る「保守と愛国物語への違和感」

“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #1

2019/01/26
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野蛮な非常識とは対峙しなければならない

――一方で呉座勇一さんの『応仁の乱』は実証的な歴史研究にもとづく一冊ですが、この種の新書としては異例のベストセラーとして話題になりました。この時代になぜ、実証的な歴史書が売れたのだと思いますか。

西尾 あの本はまだ読んでないんですよ。どうして売れたのかわかっていたら、私もまた色々と書いていただろうけど(笑)。

 

――『人生の価値について』(1996年)などを拝見しても、西尾さんの歴史観にはニーチェの影響が濃いように思います。ニーチェは、実証的な近代文献学に見切りをつけて、物語的な想像力を活用した『悲劇の誕生』を著し、その独自の哲学を展開しました。そこで気になるのが、西尾さんの保守的・愛国的な価値観との整合性です。自伝でもある『わたしの昭和史』(1998年)には1948年、13歳のときの作文が引用されています。「アメリカなどの植民地などにはならないぞ」「忘れるなこの日! 十二月八日、八月十五日!」など、戦争に対する率直な思いが綴られているのですが。

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西尾 ええ、確かにその作文を引用していますね。

――こうした愛国心はある意味西尾さんの中で一貫していると思いますが、思索・研究の中で、ニーチェの「あるのはただ解釈のみ」との考えと衝突したりはしなかったのでしょうか。つまり、愛国心も相対化されなかったのかということですが。

西尾 なるほど、自分を変える気はなかったのかというご質問。なかなか痛い処を突いて来ますね(笑)。いやぁ、はらわたを突き刺すようないやらしい質問だな……。

 

 自分の考え方を相対化できるかどうか、それは何度もあがいてきてはいます。ただ、私の人生の中でその都度、私が掲げている旗を降ろすわけにはいかなくなる状況が起きるんです。つまり、「日本が悪いことをしましたとひたすら謝ればいい、日本人が反省すればいい」といった非常に単純な歴史理解のムードが現れたり。間もなく「戦後100年」になるのですよ。私はそうした単純で一方的な歴史観が政治を蔽うのを黙って見ているわけには行かなかったのです。野蛮な非常識とは対峙しなければならないと思っていましたから。

小学生の頃、歌っていた歌の半分は軍歌でした

――自伝を拝見すると、少年期にはずいぶん音楽、特に歌がお好きだったようですね。「父よあなたは強かった」「そうだその意気」「比島決戦の歌」「勝ち抜く僕等少国民」などの軍歌の名前も見えます。

 

西尾 小学生の頃、歌っていた歌の半分は軍歌でした。なかでも「勝利の日まで」(*1)というのがありますね、いい歌ですよ。お~かにはためく、あの~日の丸を~、仰~ぎ眺める、我等のひと~み~。

――い~つか溢るる、感謝の涙~。

西尾 そうそう。燃えてくるくる心の炎、我等~はみんな~、力の限り~、勝利の日~ま~で~、勝利の日~ま~で~。