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「省益あって国益なし」という言葉もなくなった

――「安倍一強政治」というものが、かつて経世会が強かったころの旧来的な政治手法と比べて強引だという指摘がよくなされます。第二次安倍政権以降、鳴り物入りで繰り出された目玉政策を振り返ってみると、その大半が厚労省の所掌業務です。官邸主導のトップダウンで改革が断行されることで、既存の政策との整合性が取れなくなるような「歪み」の存在も専門家たちが警鐘を鳴らしています。

橋本 実は、橋本行革が目指していたのは、官邸主導や政治主導の確立だったのです。橋本行革「以前」は、総理がいくら指示しても厚生省が言うことを聞かない、労働省が言うことを聞いてくれないという事例が頻繁にあったわけです。でも橋本行革「以後」は、むしろ役所のほうが弱々しく見えて、官邸が「一強」と言われるようになった。一方で、「省益あって国益なし」という言葉を使う人もいなくなったでしょう。それは、ある意味で橋本行革が目指したものを安倍総理が使いこなして、今に至っているということなんだと私は理解しています。

©常井健一

 今はまだ、橋本行革以来の「生みの苦しみ」が続いているんです。安倍政権になって、「地方創生」、「女性活躍推進」、「一億総活躍社会」などと次々と看板が架け替えられているのは、人口減少社会を受け止めるための試行錯誤をしている証拠です。うまくいっているかどうかは評価が分かれるところですが、その流れの中から「働き方改革」が出てきたのはすごく画期的だと捉えていて、今こそ厚生行政だけでなく、労働行政と一体になって解決策を考えたほうがいいという、橋本行革が「厚生労働省を創る」という結論を導いた発想にようやく近づいてきた感じがしています。

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 だから、議論の方向性として正しいのは、官邸主導を否定することではありません。本来は厚生労働省が考えるべき政策なのに、なぜ厚生労働省の役人たちが立案できないのかという点を考えるべきだと思います。

 忙しそうだから厚生労働省を分割しろといったって、厚生省も労働省も忙しいのは変わりません。よくある分割論の誤謬というのはそこにあって、多くの人が誤解しているけど、橋本行革を見直して厚労省を分割しても問題解決にならない。忙しい、大変。そういうことで莫大なコストをかけて役所を分割しようとする発想は意味がわかりません。問題解決したいんだったら、人をどうやって増やすか、あるいは仕事をどう減らすかという議論をしなければいけないでしょう。

©原田達夫/文藝春秋

――「分割論」は一見わかりやすく、進次郎さんのような「人気者」がいつもの調子で派手にPRすれば、ワイドショーが飛びつきやすい「ネタ」にはなりますが、現実的な組織改善につながるかどうかは別問題。慎重に見極めなければいけませんね。

橋本 派手じゃなくてすみません(苦笑)。

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