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宇多田ヒカルの愛読書 ストーカーであり狂人が演じる物語

小山太一が『淡い焔』(ウラジーミル・ナボコフ 著)を読む

2019/02/17
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『淡い焔』(ウラジーミル・ナボコフ 著/森慎一郎 訳)

『淡い焔(ほのお)』ってどういう本なの、と聞かれたら、私ならこう答える――落語の「千早振る」をストーキング犯が演じる、トチ狂ったミステリー小説。

 ご存じでしょう、「千早振る」。百人一首は在原業平(なりひら)の「ちはやぶる神代も聞かず龍田川」の意味を聞かれたご隠居、知らないとは言えないから、相撲取り・龍田川の失恋物語をでっち上げ……という、あれだ。

 こんなことを言ったら、出版社が怒るかな。「詩と註釈――二つの世界を往還する物語の迷宮」(帯にそうある)を隠居の与太話と一緒にするとは何事か、と。

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 けれども私は、『淡い焔』のスーパークリアな新訳が出たというニュースを、外国文学(ガイブン)読みのサークルの外までどうにかして届けたいのだ。作者ナボコフは、狂気と笑いと憂愁が同時進行する無類の語りを凝りに凝って作り上げた。日本語の翻訳がその振れ幅にここまで同期できたというのは、すべての本好きが驚き祝うべき事件ではないか。

 さて、『淡い焔』では「千早振る」の業平に当たるのがジョン・シェイドという今は亡きアメリカの詩人、ご隠居に当たる解説者がチャールズ・キンボートという研究家だ。しかし、「千早振る」のご隠居の罪のなさとは対照的に、キンボートという男は極めてヤバい。

 第一に、こいつはストーカーである。シェイドにつきまとい、自分のことを詩に書いてもらおうと迫る。果ては、シェイドの一挙一動まで監視しはじめる始末。

 第二に、こいつは狂人である。自分のことを、ゼンブラという北方の小国から革命によって追われた元国王だと思い込んでいる。先日シェイドが撃たれて死んだのは、ゼンブラの革命政府から派遣されたグラドゥスというドジな暗殺者がシェイドに弾丸を当ててしまったせいだ、と。

 シェイド作の長篇詩「淡い焔」は、娘の死が呼び起こす喪失感を軸に、人生と詩作について瞑想するものだ。その詩の中に、流謫(るたく)の王としての自分の物語が隠されていないかと、キンボートは血まなこになって探す。そうとも、「淡い焔」は私についての詩だ。読者よ、わが註釈を見るがいい!

 かくしてシェイドの瞑想詩は、註釈が語る頽廃期(たいはいき)オペレッタのごとき筋立ての冒険譚に乗っ取られる。始末の悪いことに、この冒険譚がじつに読ませるのだ。繊細かつ毒々しい奇想が蝶々のように飛び交い、故郷喪失の物語が滑稽にも痛ましく織りなされてゆく。

 しかも、キンボートはシェイドの詩をないがしろにしているように見えつつ、不思議とその勘所を押さえている。人生が深遠で難解な未完の詩の註釈だったなら――というシェイドの着想と、この狂人の語りは倒錯的に共鳴しているのだ。

「千早振る」がお茶漬けなら、『淡い焔』はフルコースの美食である。では、「淡」の妙味はどこに?――それは、食べてのお楽しみ。

Vladimir Nabokov/1899年、ロシア生まれ。ロシア革命後亡命、1940年にアメリカに渡る。55年『ロリータ』がベストセラーになった。77年没。本書は昨年宇多田ヒカルの愛読書としても話題に。

こやまたいち/1974年、京都府生まれ。立教大学教授。近訳にオースティン『自負と偏見』、ジェローム『ボートの三人男』など。

淡い焔

ウラジーミル ナボコフ,森 慎一郎(翻訳)

作品社

2018年11月20日 発売

宇多田ヒカルの愛読書 ストーカーであり狂人が演じる物語

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