対局が開始されてから、約2時間半、皆が無言であった
正午を過ぎ、対局時間は90分を超え、既に両者とも持ち時間を使い切っていた。玉の守りが厚いぶん、やや後手有利に見えた。そして1分将棋に入ると、藤井氏が徐々にペースを摑み、行方氏はじりじりと追い詰められていく。
行方氏はときに頭を抱えるような仕草をし、水を飲む回数が増え、その焦りは盤上以外からも如実に見てとれた。この苦しい形勢を覆そうと、▲4七桂、角取りを打ち勝負に出る。しかしここからの藤井氏の手は非常に鋭く、角を捨て、飛車にて敵陣深くへ入り込むと、その後に持ち駒とした角を3九に打ち、飛車と銀の両取りをかけ、ここで得た飛車を用いて、確実に相手の玉を追い詰めていく。行方氏は防戦一方となり、△3九角にて受けがなくなり、120手にて投了する。
その瞬間、会場内から拍手と歓声が起きた。対局が開始されてから、約2時間半、観客も、棋士も、取材陣も、私も、誰一人、一言も喋ることなく、皆が無言であったのだ。私はこの無言に、文学に近しいものを感じた。皆が無言の中に、盤上の局面から、何らかの感情を受け取るわけだが、これは萩原朔太郎の言うところの“詩のにおい”と殆ど同じものである。
なぜ“オープン戦”なのか
して、午後の決勝では、藤井氏と渡辺氏が対局し、結果、藤井氏が史上2人目となる2連覇を果たした。こうして第12回朝日杯将棋オープン戦は、終幕を迎えた。
さて、私は関係者パスを返す際に、朝日新聞社の職員に、本大会がなぜ“オープン戦”というのか尋ねてみた。本トーナメントは、参加資格に厳格な制限を設けておらず、プロアマ問わず、勝ち上がりさえすれば出場できるという。
つまり近い将来、朝日杯将棋オープン戦に、アマチュア枠で自称棋士のノヴェリスト高橋が出場することも、不可能ではないのだ。
私の想像は瞬く間に膨らんだ。私はすでに、雑誌『将棋世界』に「棋界に彗星の如く登場した鬼才、高橋アマ、朝日杯将棋オープン戦決勝進出!」という見出しが載るところまで、思い描いていた。
そして帰路、神保町の三省堂本店に立ち寄り『みるみる強くなる将棋入門』と『念ずれば夢かなう』の2冊を購入して家路を辿ったのであった。