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逆算する20歳 安部裕葵に聞く「無名の高校生がJリーグイチの若手になれた理由」

鹿島アントラーズ・安部裕葵選手インタビュー#2

2019/03/08
note

親が働いている姿を見て、プロを目指すスイッチが入った

――小学生時代は「まったく実力のない選手だった」と話していましたが、いつ頃から本気でプロを目指すようになったんですか?

「それはたしか、中2の10月くらいだったような気がします」

――何がきっかけで?

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「進路、どうしようかなって考えていて……いや、でも、結局は親が働いている姿を見て、ですね。親は自分が思っているよりもすごく働いていたし、しかも僕はクラブチームでサッカーをしていたから、お金も相当掛かっていたと思うんですよ。たぶん、そういうことを考えられるようになったのが中2の秋くらいで、自分の中でスイッチが入ったというか」

 

 

地方から出てきた成り上がりのほうが強い……僕は東京育ちですけど(笑)

――高校の3年間、「絶対にプロになる」という想いは、少しもブレることなく?

「いや(苦笑)」

――ブレたんですか?(笑)

「ブレることはなかったですけど、うまくいかないことはたくさんありました。でも、僕は小さい頃から、ダメでもいいや、っていう精神なので」

――とにかく、ぶつかっていく。

「そうです。だから、挫折を味わったこともないです。どれだけ相手にボコボコにされようが、もともとうまくいかなかったタイプなので、なんとも思わないんです。だから人生って、育ちの良いお坊ちゃんより、地方から出てきた成り上がりのほうが最終的に強いんじゃないかな、と僕は思います。まあ、僕は東京育ちですけど(笑)」

――そうですよね(笑)。でも、東京から、成り上がるために広島に行ったと。

「はい。そういったハングリーさは、この職業には絶対に必要だと思います」