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逆算する20歳 安部裕葵に聞く「無名の高校生がJリーグイチの若手になれた理由」

鹿島アントラーズ・安部裕葵選手インタビュー#2

2019/03/08

中学のときは親の敷いてくれたレールに乗るしかなかった

――帝京FCジュニアユース(現S.T.FOOTBALL CLUB)に加入したのは、ご両親の勧めだったそうですね。

「そうです。親に『ここ、いいんじゃない?』と言われて、セレクションを嫌々受けましたね」

――嫌々というのは?

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「サッカーに対する向上心はあったんですけど、中学の部活に入るのは嫌だなと思っていて。でも、本当に大した選手ではなかったので、セレクションを受けてもどうせ落ちるだろうな、と思っていたんです。それでも両親に背中を押されて受けてみたら、受かって、自然と入る流れになりましたね」

――ご両親は、サッカーにすごく熱心だった?

「どうですかね……。ただ、心配性なので、僕の進路とか将来に対して、レールを敷いてくれるタイプですね」

――では、中学時代のサッカーに関しては、敷かれたレールに乗ったと。

「もう、乗るしかなかった。自分に力がなかったので」

 

高校進学で「広島はダメ」という親の反対を押し切る

――高校は広島の瀬戸内高校に進学します。ここで敷かれたレールから降りた?

「そうですね。このときが初めてです、自分の希望を押し通したのは。中学を卒業するとき、3校くらいから声を掛けていただいて。僕は寮生活がしたかったから、広島に行きたかったんですけど、親は寮生活に反対で、広島はダメだと。それに、ほかの2校のほうがサッカーで有名な高校でしたから、そっちに行け、と言われたんですけど、僕が嫌だと言って」

――そこで初めて自分の意見を曲げなかったのは、なぜですか?

「ずっと嫌だったんですよ。自分の力で生きていきたいと思っていたので。うちの家族は、兄は穏やかなんですけど、父も母も僕も主張が強くて、意見がなかなか通らなくて。だから、広島に行くことが決まったときは、やっと寮生活ができるぞって。高校時代はホームシックも一切なかったです」

――瀬戸内高校を選んだ理由として、過去のインタビューに、高3の夏に広島でインターハイが開催される。開催地は2校出場できるから、インターハイ出場を狙って選んだ、というようなことを話していますよね。たしかにプロを目指すなら、高校3年の冬の選手権ではなく、夏のインターハイがリミットだから、そこへの出場を睨んで進路を決めたというのは、賢いなと思いました。

「それだけが理由ではないですけどね。いろんな情報を集めて、自分にとってどこがベストかを考えて、最後は直感で、広島に行こうって決めました。小さい頃から、勉強がすごくできたわけじゃないですけど、先を見越していろいろ考えるのは得意でしたから」