実家にいたら……プロになれてないと思う
――高校3年のインターハイでベスト8に進出すると、その後、鹿島から声が掛かりました。声を掛けてもらえるという自信は?
「いや、僕は何も考えてなかったです。そもそもJ1から声が掛かるとは思ってなかったですし、J2でもJ3でも声を掛けてもらえたら行こうかなって。でも、高校の先生から『J2やJ3には行かせられない』と言われて、それなら浪人してでも勉強して、良い大学に入ろうかなと考えていたので。本当に、ダメでもいい、という考えが自分の中にはあるので、プロに行けなかったとしても心が折れることなく、前向きに人生を歩めていたと思います。そこは自分の強みです」
――瀬戸内高校での3年間で成長を遂げ、念願のプロ入りを掴んだわけですが、振り返ってみて、自分はなぜ、プロになれたと?
「難しいですね……。でも、僕は実家にいたらプロになれてないと思います。たぶん自分がプロになれた理由は、親元を離れ、自分で考えて、自分の足で人生を歩んだからなんじゃないかって。でも、それは自分の場合であって、ひとりになったらダメになる人もいて、その場合は親に厳しくされたほうがいい。だから、自分の能力を発揮できる環境を見つけることが大事だと思います。もちろん、そうした環境に身を置けたとしても、全員がプロになれるわけではないですけど、サッカーに限らず、ほかの仕事であっても、まずは自分のことを理解する。そして、どんな環境に身を置くべきかを素直に考えられれば、人生は良い方向に行くと思います」
プロになれなかったらサッカーを辞めて、良い大学に入るつもりだった
――高校を卒業する時点でプロになれなかったら、浪人してでも良い大学に進学するつもりだったということですが、その場合、大学ではサッカーを辞めるつもりだったそうですね。それは本音ですか?
「はい。そういうつもりでした」
――絶対にプロになろうと、自分を追い込んだわけじゃなく?
「もう本当に。兄も大学ではサッカーをやってなかったので、自分だけが続けるのも、っていう気持ちもありましたし。あと、親を見返したいという気持ちがすごくあったので(笑)。ここまでやったぞ、って示したかった。だから、もしプロになれなかったら、本気で勉強して、良い大学に入って、頑張ったなって。そういうメンタルは、今でもすごくありますね。親を納得させたいというか。親は超えたいですよね、絶対に」
――何くそ、というような。
「はい。そういったハングリーさは、自分には途轍もないくらいあると思います」