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東京五輪もW杯も目指すのは大事なことだけど……

――では、最後に。先のことは考えないタイプだということは承知のうえで、うかがいます。1年半後に、生まれ育った東京でオリンピックが開催されます。また、昨年6月のロシア・ワールドカップを現地で観戦したそうですが、それによって3年半後のカタール・ワールドカップへの想いも膨らんだのではないかと思います。このふたつの世界大会について、どう思っていますか?

「もちろん、そういう世界大会を目指すのは大事なことだし、そこに向けてコンディションを合わせるのは、サッカー選手として当然のことだと思っています。ただ、Jリーグだろうと、クラブ・ワールドカップだろうと、アンダーの代表の試合だろうと、規模が大きい、小さいなんて考えず、すべての試合に最高のモチベーションで臨んでいて。そういう意味では、試合も練習も、あまり変わらないと思っていますし」

――練習も試合と同じテンションで臨んでいると。

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「そうですね。それは自分に合った考え方なので、人それぞれでいいと思いますけど。僕は、いつか来るチャンスを掴めるように、日々準備を続けているので。その結果として、オリンピックやワールドカップといった大舞台に強い選手になれればいいかな、と思っています」

――毎日準備を怠らず、目の前の試合でベストを尽くせば、オリンピックやワールドカップは自ずと近づいてきて、そのピッチで結果を出すことにも繋がっていく。

「はい。僕はいつも、そういうテンションでやっています」

 

◆◆◆

 まるで30半ばのベテラン選手と話しているようだ――。

 インタビュー中、こんな錯覚に陥った。とにかく落ち着いていて、しっかりとした考えを持っている。また、彼自身も武器だと認めるハングリー精神や折れないメンタリティは、何度も壁にぶつかりながら、乗り越えるたびに逞しくなっていった本田圭佑や長友佑都に通じるものがある。

 そのハングリー精神は、家庭環境や寮生活によって育まれた部分が大きいと思うが、実は、安部が中学時代に所属した帝京FCジュニアユースは、彼が中学2年のときにS.T.FOOTBALL CLUBと名前を変え、本田のマネジメント会社が経営に携わることになった。安部自身は「本田さんとは一度ミニゲームを一緒にやっただけで、すぐに終わっちゃいました」と交流はなかったと言うが、このとき、本田は夢を持つことの重要性について説いたそうで、その影響も多少なりともあるのかもしれない。

 いずれにしても、安部に将来、ヨーロッパでプレーするためのメンタリティが備わっているのは確かだろう。鹿島アントラーズとU−20日本代表の背番号10、安部裕葵のプレーに注目しておいて損はない。

 

(#1から続く)
写真=末永裕樹/文藝春秋

◆#1 20歳で鹿島の10番 安部裕葵が明かす「ジーコさんに肩を叩かれたあの日」> 
https://bunshun.jp/articles/-/10998