アルゼンチンの名将にあきれられた「クラッシャー」
さらに、Bリーグ誕生につながる一連の改革は代表チームの強化の後押しとなった。Bリーグ開幕にあわせて、日本バスケットボール協会の競技面での責任者である技術委員長に東野智弥がついた。彼は過去に日本代表チームのアシスタントコーチを務めたり、bjリーグの浜松・東三河フェニックス(現在の三遠ネオフェニックス)のヘッドコーチ(HC)を務めていた時代にはリーグ優勝を果たした経験のある人物だ。
彼は昔から情熱家であり、2004年のアテネオリンピックで金メダルを取った要因を探ろうとして、アポなしでアルゼンチンバスケット協会をたずねて、朝の8時から現地でまちかまえて、様々なノウハウを学んできたほどの情熱家だった。そのために、ついたあだ名は「クラッシャー」だ。
そんなクラッシャー東野が技術委員長につくことが決まったとき、川淵は短く、伝えたという。
「東野、思い切りやれ!」
その言葉の言外には、日本代表が強くなるためにふさわしい指導者を探し、粘り強く交渉して、日本に連れてくること。そして、そのために金銭面や条件面で厳しいものがあれば、バックアップを惜しまないことが含まれていた。
情熱を武器にする彼は、その命を受けて、そして自らの人生をかけて、バスケットボールの強国アルゼンチンに飛び、ある名将を口説き落とした。もっとも、オファーは一度は断られているのだが、その2週間後に再びアルゼンチンにわたって、新たなオファーをする。東野にあきらめるつもりはなかった。彼がそこまで情熱をかけて、招へいしようとしたのが、2012年のロンドンオリンピックで母国をベスト4へと導いた名将フリオ・ラマスである。ラマスと会うためにアルゼンチンだけではなく、世界中に飛んだ。ラマスのチームがカナダのトロントで試合をするとわかれば、トロントに足を運び、ラマスにあきれられたこともある。
ともかく、そんな熱意が実を結び、2017年7月、Bリーグ開幕から10ヶ月後にラマスが日本代表のHCに就任した。気がつけば世界を知らない指導者ばかりになっていた日本バスケ界に、世界の舞台を知る彼がもたらしたものは大きかった。