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ジョーダンもスラムダンクも変えられなかった日本バスケ界 強くしたのは誰か?

44年ぶりの五輪出場へ

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(1)「改革者」川淵三郎と「クラッシャー」東野智弥の情熱

 少し話はさかのぼるのだが、2005年に、完全プロ化を売りにしたbjリーグが誕生した。背景の一つは、1993年のJリーグ誕生以降、長年にわたってバスケットボールのプロリーグ発足について検討されてきたが、実現にこぎつけなかったことだ。そこで一部の関係者が志をもって、bjリーグを誕生させた。とはいえ、当時の日本のバスケットボールの主流は、実業団が主体だったJBL(2013年からNBLに発展、改組)である。

 結果的に2005年以降は、国内にトップリーグを標榜するリーグが2つも存在する異常な時代が続いていた。これにFIBAが異議を唱え、再三にわたり、警告を送っていた。ところが、国内リーグの統一に向けて進展の気配が見られず、FIBAが2014年11月に日本のバスケットボール界の国際大会への出場を一切禁止した。

 上記の問題はあくまでも日本の男子のバスケットボールのリーグの問題だったが、FIBAの処分は男子だけにとどまらず、アジアのなかではすでに強豪国の地位にあり、問題の核心とまでは言えなかった女子にまで及んだ。

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2015年にバスケットボール協会会長に就任した川淵三郎氏(左)。現在は協会のエグゼクティブアドバイザーを務める ©AFLO

バスケ界の足を引っ張ってきた人たちとの決別

 こうなると、待ったなしだ。さすがに批判が殺到。サッカーのJリーグを立ち上げた川淵三郎氏が国内の男子プロリーグ創設の責任者を任され、同時に2015年5月からは日本のバスケットボール界の頂点である日本バスケットボール協会(JBA)の会長にも就任して、Bリーグが発足。2016年9月22日に開幕した。

 バスケットボールの門外漢である川淵氏を中心にすえてのBリーグ誕生は、メリットをもたらした。

 まず、日本バスケットボール界の足を引っ張っていた人たちとの決別をした。前述の通り、再三にわたり検討されたバスケットボール界のプロ化が実現しなかったのは、この世界の常識にどっぷりつかった人たちが忖度と利権と配慮でがんじがらめになってしまったからだった。

 そのうちの一部は、川淵氏らがバスケットボール界のプロ化に邁進して行く段階で「日本バスケットボール推進協議会」なる圧力団体に近いものを立ち上げた。昨年12月、Bリーグが誕生して3年目となった時点でも、FIBAのエグゼクティブコミッティーのメンバーであるインゴ・ヴァイス氏が彼らの活動に苦言を呈したほどだった。過去のバスケットボール界の人たち全てに問題があったわけでは決してないが、業界の利益だけではなく、個人の利益や理屈を優先させようという考えがはびこっていたのは事実。そして、それをFIBAからの制裁を機に一掃できたのは大きな意味があった。