文春オンライン

「貧困をバネに成功した」事例をロールモデルにしないために

佐々木俊尚×吉川ばんび 対談 #2

note

キモくて権力のあるおっさんが一番やばい

佐々木 キモくて金のないおっさんもそうだよね。自分が生きている世界とは違うできごとで、共感できないから、どんな状況にあるかというのが想像もつかないし、気にもならない。

 かと言って、キモくて金のないおっさんが完全なる善なのかというと、そうではないじゃないですか。善か悪かで切り分けるものではなくて。何事も二元論で話すのではなく、全体でバランスを取りながら考えないといけない。

吉川 そこを無視しちゃうと「善じゃないと助けたくない」、という発想につながりますよね。共感論の話じゃないですけど「心の綺麗なキモくて金のないおっさんしか助けたくない!」みたいな。

ADVERTISEMENT

佐々木 そうそう。弱者の中でもトーナメントが行われていて、キモくて金のないおっさんは一番弱いんですよ。弱者トーナメントをした結果、勝った人が負けた人に危害を加えるマインドっていうのは常に起きていて、健全ではないなと思うんですよね。

吉川 「キモイおっさん」という枠組みの中でも、お金を持ってるだけで世間からは尊敬される部分がありますよね。

佐々木 キモくて権力のあるおっさんもいますしね。

 

吉川 キモくて権力のあるおじさんの方がやばいんですよ。社会的な地位がある人がセクハラに加担していることも多いですし、そういう罪も「弱者」であるキモくて金のないおっさんが背負っているんです。

佐々木 キモくて金のないおっさんからLINEがきても、単に無視するだけですからね。

吉川 そう、ブロックして終わりなんですよ。権力のあるおっさんの場合は、それができないことがあるから難しい。

佐々木 それが性暴力事件を山ほど起こしているケースだってあるわけです。例えばフォトジャーナリストの広河隆一さんに対してはみんな「けしからん!」って言ってるけど、あの延長線上には「セクハラをしてるけど広河さんよりはマシな人」とか色々いるし、連続性があることを認識したほうがいいんじゃないかなと。ダメな人を見つけて、みんなで罵倒して終わりにしちゃうのはよくないですよね。

 

「膿を出し切る」という言葉が嫌い

吉川 たまに報道される政治家の汚職事件とかありますけど、あれって多分その業界では根強く残ってきたもので、古来からある風習なんだろうなと思うんですよ。もう文化というか。政治家になったときから多分先輩なんかに「それはそうやっとけばいいんだよ」って教えられて、本人たちも「そうか、そういうもんだよね」と当たり前のようにやっていた結果、ある日突然自分だけがバレて叩かれて。でも、それで終わりなんですよね。そこの裏にある根本の部分を引きずり出さないと意味がないのに、報道があったら政治家はみんなしばらく大人しくしていて、そのうち元に戻るっていう。

佐々木 「膿を出し切る」という言葉があるけど、僕はあれがすごく嫌いなんです。「いやもう全身が膿じゃねぇか」って。

吉川 あたかもそこだけ取ればよくなるみたいな言い方ですよね。

佐々木 膿を出し切るんじゃなくて、膿が出ないように治療することが大事なんだよね。全部社会の連続性の中でつながっているので、何かだけを断罪すればよくなるものでも、何かだけを救えばよくなるものでもないでしょうし。

吉川 そうですね。