昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「あと5分で……」羽田空港で“旅券返納命令”を手渡されて――常岡浩介インタビュー

日付が手書きのFAXだった

 2月2日、羽田空港からカタール、スーダン経由で中東イエメンの取材へ発とうとしたジャーナリストの常岡浩介さん。羽田で「旅券返納命令が出ている」と告げられ、その場で2枚のFAXを受け取ったという。

常岡浩介さん

国際線の自動化ゲートで「何だこれは」

常岡 「パスポート情報は登録されていません」。羽田空港の出国審査場で国際線の自動化ゲートを通過しようとした時、画面にはこのような趣旨の文面が表示されていました。「何だこれは」と一瞬、ぽかんとしてしまいました。

 旅券(パスポート)返納命令を受けたこの2月2日のことをお話しする前に、まずは1月まで時系列をさかのぼる必要があります。私は長らくイエメンの飢餓問題を取材する計画を立てていて、1月14日にオマーン経由でイエメンに入国するという計画だったのですが、何の理由の説明もなくオマーンから入国拒否を受けたのです。

――1月の時点では、日本を出国することができたんですね。

常岡 はい、その時は問題なく出国できました。しかしオマーンに入国することができなかった。入国手続きを行う窓口でパスポートを出したところ、別室に連れていかれて、「オマーンには何日滞在する予定か、ホテルの予約証明書を見せてください」などと2~3分聞かれたあと、次に連れていかれたのが入国ゲートではなく、出国ゲートでした。

――入国できない理由は説明されましたか?

常岡 「ここで待ちなさい」とだけ言われて、そのまま48時間、2日間放置です。その後、スリランカ航空のスタッフが現れて、「あなたが乗る飛行機はこちらです」と告げられました。そもそも私は誰からも「入国を拒否します」とも「強制送還します」とも言われていません。何の説明もなく、不穏でした。

 

――2日待ったあと、日本へトンボ帰りすることに。

常岡 はい。私は、オマーンの協力者に対して「一体、何が起こったんでしょう」と問い合わせたところ、「日本大使館からの情報共有を受けて、あなたのパスポートは今、警察の手に渡っています」という要領を得ない説明を受けました。私が強制送還される時は、スリランカ航空の飛行機に搭乗することになったのですが、スリランカ航空のスタッフから、「なぜここに、日本の大使館員が来ているのですか」と聞かれました。私には声かけもなかったのですが、空港で待機している間に「背広を着たアジア人がいるな」とは思っていました。ただ、その人物が日本大使館員だったかどうかは分かりません。

 スリランカ航空側にも、なぜ私が強制送還されるのか、説明はなかったそうです。成田空港へ戻ってきた時、スリランカ航空の委託を受けている空港業務担当の日本人スタッフから「ビザも問題なさそうに思えますが」と言われました。

――そして、もう一度渡航の計画を立て直したんですね。

常岡 そうです。「やり方を考えなければならない」と思いました。1月に計画した取材は、日本を一人で発ち、オマーンで台湾のテレビクルーと合流して、現地では一緒に行動するという予定になっていました。彼らは、予定通りオマーンからイエメンに入国して取材を終え、問題なく帰国して番組は3月に放送されたそうです。2月に私が旅券返納命令を受けたというので、仰天していましたね。

 そもそも、台湾の記者は「イエメン取材に行く」ということを最初からFacebookに書いていました。一方、紛争地を取材する日本人の記者は、何らかの邪魔をされることを防ぐため、「取材前に自分の目的地を絶対にオープンにしない」というのがもはや常識になってしまっています。報道は当たり前のことなのに、おかしな話です。