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動乱の日本を見つめたアメリカ人建築家の遍歴

博覧強記の作家が『屋根をかける人』ヴォーリズに迫る

2017/01/29
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 著者の門井慶喜氏とは、共著『ぼくらの近代建築デラックス!』のなかで幾多の建築をともに見て回った間柄で、隣にいてとにかく驚嘆したのはその泉の如く溢れ出る知識量と、よどみなく流れる弁舌と、尽きることなき知的好奇心の豊かさである。ホームズの話を聞くワトスンの気持ちってこんなだろうなと想像するほど、私はただホホウとうなずき、その高度な薀蓄力に圧倒されるばかりだった。

 作品の主人公であるヴォーリズが手がけた女子校の校舎にも門井氏と訪れたが、陽の光が窓から注ぎこみ、思春期の難しい子も、ここならきっとぐれなさそう、と自然に思えてしまうような、木造のやわらかさとやさしさが充満していた。

 今も日本各地で現役の建築として、人々に愛されているヴォーリズ作品。しかし、意外なことに、ヴォーリズその人は生粋の建築家ではなかった。

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 そもそも彼はキリスト教の伝道師であり、日露戦争のさなか英語教師として近江八幡の商業学校に赴任した。そこから建築の世界に足を踏み入れ、さらにはメンソレータムの販売まで始め、今日の名声を得た。

 その足跡をリズムよく追いつつ、物語の隠れた核となるのは、敬虔なキリスト教徒の彼が天皇制及び天皇その人と、いかに折り合いをつけていくかという心の遍歴だ。それはすなわち、生真面目と思えばときに意地悪、ときに欲張り、ときに情熱家、実に人間くさいヴォーリズが、日本という国と真摯に繰り広げた対話の軌跡でもある。

 私がまったく知らなかったのは、ヴォーリズが日本に帰化していたこと、私が生まれるたった十二年前まで生きていたという事実だ。はるかむかしの偉人と思いきや、昭和をじっくりと生き抜いた意外と身近な人物だったのだ。

 ところで、どうしてヴォーリズは近江八幡という小さな町を生涯通じ、あれほど愛したのか? 私は一つの仮説を持っている。

 高校時代、アメリカのコロラドにホームステイした経験がある。野外学習でロッキー山脈の麓に連れていかれたとき、平原の向こうに延々と連なる、雄大な山の眺めに感嘆した。

 それから二十年後、琵琶湖を舞台にした小説の取材で、近江八幡のある琵琶湖東岸を訪れたとき、琵琶湖を挟んで彼方に連なる、比叡山を含む比良山地の眺めに、「ロッキー山脈みたいだな」とあの日の風景を反射的に思い出した。

 この本は、コロラドの高校・大学を出た若きヴォーリズが、船に乗って太平洋の向こうからやってくるところから始まる。

かどいよしのぶ/1971年群馬県生まれ。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。『東京帝大叡古教授』『家康、江戸を建てる』など著書多数。

 

まきめまなぶ/1976年大阪府生まれ。作家。著書に『鴨川ホルモー』『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』『バベル九朔』など。

屋根をかける人

門井 慶喜(著)

KADOKAWA
2016年12月21日 発売

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