私はオタクである。2次元の男性キャラ同士の恋愛のことばかり考えては妄想がとまらないタイプのオタク。妊娠していた時の日記に「まだぜんぜんBLに興味あり」と書いてあったのには自分で笑った。2次元のキャラクターを推すのには人それぞれの理由があり、大雑把に括ってしまうのは非常に暴力的なことだけど、私個人は(1)キャラクターの余白を都合よく想像でき(現実の理想とイコールではない)、どれだけ歪んだ愛をぶつけても良い。人を傷つける恐怖なしに誰かを愛せる幸福は格別(2)仲間と一緒に崇拝できる幸福はさらに格別(3)自分が登場しないので逃避先になる。というのが前提で、私の妄想は(4)思春期の成仏していない気持ちを2次元のキャラクターたちにこじらせた形で代弁させている。
そんな私のオタク心がむらむらしたのが『石川くん』(枡野浩一著)だ。石川啄木の短歌を枡野氏が現代の言葉で意訳してあり、啄木の人間臭さをゆるいエッセイを読む感じで堪能できる本である、であるんだけど、この、啄木のクズっぷりが今私が推しているキャラクターとリンクして萌えがとまらない。そのうち推しキャラ関係なく萌えるようになってしまった。こんな形で短歌に興味が湧くとは。「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」(枡野氏訳 一度でも俺に頭を下げさせたやつら全員死にますように)自分の存在しない世界線の話だとこの人間臭さがめちゃめちゃに尊い。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」(友達が俺よりえらく見える日は花を買ったり妻といちゃいちゃ)うう……エロい。いちゃいちゃの裏に友人への嫉妬が潜んでいるなんてはちゃめちゃにエロい。(現実だと嫌です!)「その膝に枕しつつも我がこころ思ひしはみな我のことなり」(ひざまくらしてもらいつつ俺がふと考えるのは自分のことだ)そうです、いちゃいちゃしつつ心ここに在らずの男はエロいんです。ふいに片思いしてる気持ちにさせられる。だめだ、オタクモードで原稿を書くと「エロい」「尊い」の語彙しか出てこなくなる。「目さまして猶起き出でぬ児の癖はかなしき癖ぞ母よ咎むな」(目ざめてもふとんの中でぐずぐずとしちゃう…)なんたるバブみ……推せる! 推せるぞ!
この萌えは枡野氏の訳ありきで、枡野氏の愛情で啄木を一度抱きしめ咀嚼してからでないとこんな萌えには繋がらなかった。枡野氏ごと私は萌えているんでしょう。短歌ってこんなに妄想する余白がたくさんあるのか、大好きなやつだ。推しが増えると言うのはこれ以上ない幸せ、枡野氏に勝手に感謝します。