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映画館でも「ブラボー!」

 東銀座の東劇で上映されている「METライブビューイング」にも頻繁に足を運んでおられた。これは毎シーズンNYのメトロポリタン歌劇場で上演されるオペラを映画館で上映しているもので、NYから都内に拠点を移されてからというもの、キーンさんは誠己さんを伴い、定期的に通っておられた。公演が素晴らしい時は、映画館であっても「ブラボー!」と拍手喝采を送った。時には一般のお客さんに向けて、上演前にレクチャーを行なうこともあった。新演出と言われる奇抜な演出は毛嫌いされていて、基本的には超王道の演出のオペラを好まれていたようだった。99年間上演されなかったビゼー《真珠採り》を観た日は目をキラキラさせて喜んでいた。「どういうところが良かったですか?」と聞くと、言葉にならないとため息をつきながら、「とにかく、声です! あんなに美しくて柔らかい高音は聞いたことがありません。Really Marvelous!」と天井を仰ぎ見た。

戦後オペラハウスでバイトしたことも

沖縄戦で同じ部隊だったメトロポリタン歌劇場ティンパニ奏者に髪を切ってもらっているキーンさん

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 なにしろ戦前からオペラを観続けられているキーンさんだ。戦後すぐのバイロイト音楽祭も、マリア・カラスの舞台も生で観ている。戦後すぐのサンフランシスコ・オペラハウスでもぎりのようなバイトをしていたこともあるとか。戦中、メトロポリタン歌劇場で観たブルーノ・ヴァルター指揮による《フィデーリオ》(ベートーヴェン作)では、幽閉されている物語の主人公が解放される段になると、ナチス・ドイツに占領されたヨーロッパと主人公を重ね合わせた会場の聴衆たちが、ヨーロッパの人々もいつか必ずナチスから解放されるにちがいないとみな涙を流していたそうで、あとにもさきにも、こんな経験はしたことがないとキーンさんはおっしゃっていた。今となっては貴重な証言だろう。一部の作品を除き、敵性国の音楽であっても素晴らしい作品であれば、アメリカでは関係なく上演されていたのだ。キーンさんもまた、沖縄戦で捕虜となった日本人兵にこっそり蓄音機で『エロイカ・シンフォニー』を聞かせていたことはよく知られている。