「イタリア・オペラを疑え」といわれても、そもそもイタリア・オペラを信用している人がいるのだろうか? 話す代わりに歌う、都合が悪くなると歌う。「私は死んでいきます」と言っているのに朗々と歌う、「誰か来る、逃げなければ」と言いながら延々と歌う。とにかく大きな声を出す、できるだけ高い音を出す、極力長く引っ張る、むやみにコロコロころがす。疑われない方がおかしい。でもどれもこれも、美しくて豊かな声でやられるとうっとりしてしまうんですね、もう。
本書の内容を一言で紹介すれば、「複雑かつ微妙」な位置づけで、いろいろな立場の人から誤解されているイタリア・オペラを、先入観から解放して、その素晴らしい世界をわかってもらいたいというものである(すみません、全然一言におさまっておりません。できれば歌って謝りたい)。
クラシック音楽に馴染みのない人にとっては、まずオペラというジャンルそのものが、高尚で敷居が高いという思いこみがある。しかもオペラはチケット代が高額になりがちだから、はじめて足を運ぶには勇気がいるかもしれない(演奏団体によっては、勇気どころか蛮勇、あるいは狂気が必要な額といえる)。ブルジョア的で反感を覚えるという向きもあろう。
一方、クラシック愛好者のなかでオペラファンの地位は低い。交響曲にくらべて格下、メロドラマにズンチャッチャの伴奏をつけただけではないかと、あからさまに見下されることも少なくない。さらにオペラファンも一枚岩ではなく、ドイツ・オペラは偉いが、イタリア・オペラは俗っぽくて知識人にはふさわしくないと鼻で笑われたりする。著者の述べるとおり「イタリア・オペラは八方ふさがり」なのだ。
このようにややこしい先入観の源泉が、音楽後進国だったドイツで提唱された「進歩主義的音楽史観」(要するに、ドイツの交響曲の歴史こそが西洋音楽の正史だとする説)であること、ロッシーニが音楽を使いまわすのは、彼がいい加減だからではなく、音楽の抽象性や普遍性の追求を優先したからにほかならないことなど、本書では、なるほど納得の指摘が次々と繰り出される。
そしてイタリア・オペラといえば歌手! なかでも超高音を求められるテノールや、世界レベルでの活躍が期待される日本人メゾソプラノの脇園彩さん(なんと、日本一賢い女子を輩出する桜蔭学園のご出身だとか)についての、最新の公演やインタビューを踏まえた紹介・分析を読めば、彼らの生の舞台に接してみたいと思わずにはいられない。
さあ、これであなたもイタリア・オペラ通。人間の声と音楽が織り成すゴージャスな世界に、どっぷりつかろうではありませんか。