公開20周年を迎えた映画『マトリックス』がアメリカで注目を集めている。「トランプ後の世界を予言していた」とする論評も出るくらいだ。
たとえば、劇中「隠された真実を知るための錠剤」として出てくる「レッド・ピル(Red Pill)」は、今やアンチ・リベラル界隈を中心にインターネットで動詞化している。「この世界では女性や有色人種が差別されていることになっているが、真に抑圧されているのは白人男性である」──このような“真実”に目覚めることが“Red-Pilled”と表現される、という要領だ。
こう書くと『マトリックス』再ブームがトランプ支持者およびオルタナ右翼寄りの話に思えてくるが、そうとも言えない。『マトリックス』が「予言」とされる理由は、もっと大きな規模で起きている、テクノロジーへの不安を表現しているからなのである。
AIアルゴリズムに“心をハック”されるリスクが露見した
『マトリックス』は、自分の生きる世界に違和感を抱く主人公ネオが“真実”を知る物語だ。レッド・ピルを飲んだネオは、現実だと思っていた世界がコンピューターにつくられた仮想現実だったと知る。本当の世界では、人類がコンピューターの奴隷にされていたのである……このSF英雄譚は、2019年現在、より“真実”に近づきつつある。
「21世紀を生きるにおいて知るべき最重要事項は、われわれ人間が“ハック可能な動物”だということです」──これは『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリがWIREDで放った警告だ。
ドナルド・トランプの勝利に終わった2016年大統領選挙では、Facebookの性格診断データを用いて対象ユーザーの心を狙い撃ちにするケンブリッジ・アナリティカ社のターゲティング広告が注目を浴びた。フィルターバブル問題(*)は前々から指摘されていたが、この件により、AIアルゴリズムにかかれば人間の思想や認識は簡単に変えられてしまう可能性が露見したのだ。
こうしたAI研究では、人間の瞳孔の動き一つでささいな緊張や感情変化を読み取れるようになると言われている。ユヴァルは語る。「人間は操作されないなどと幻想にすがっていたら、あっという間に感情を操られる人形となります」──まるで『マトリックス』ではないか。
テクノロジーを発端とした「不安」は日常に浸食している。顔認証による監視やフェイクニュースはもちろん、バーチャル・インフルエンサーがInstagramの人気者になっているような光景も「現実とシミュレーションの区別がつかない不安」を形成してゆくだろう。“現実”や“真実”といった概念が揺り動かされる今、世界は不確実性に満ちている。
*……検索エンジンやSNS上で利用者の好みに応じた情報が選択的に提示されることにより、利用者が思想的に孤立する問題