キム医院長は言う。
「誰もが想定できたことを問題が大きくなってからようやく着手した行政に問題がありますが、追慕館に反対するプラカードを目の当たりにした生徒やその遺族は酷く傷つきました。
こうした社会的な問題は解決したという結果ではなく、どう解決していったかというその過程がとても大事で、今回その過程は被害者にとってとても残忍なものでした」
生存した高校生たちは消防、警察、看護などへ
それでも、生き残った生徒の中には少しずつ前へ歩み始めている子もいると話す。
「被害者は皆、セウォル号の被害者であったことを隠して萎縮しているだろうという思い込みもあるようですが、社会的な影響が強い事故であるぶん、思いもかけないことから驚くような治癒が生まれることもあります。生徒に訊くと『社会奉仕者や消防、警察、看護、心療治療』など人を助ける職業を選択する子が多い。これは、あんな惨事の中でも助けてくれた人がいて、手紙や物資を送ってくれた人がいた。つらい人生かもしれないけれど、よりよく生きるにはどうすればいいのかを考え始めていて、トラウマを克服して成長している子もいるのです」
キム医院長だけでなく、他の心療医師も事故直後、被害者やその遺族に接する前にとても緊張したという。
「これほど圧倒的な惨事を経験したことがなかったですから、どうすればいいのだろうと緊張しました。でも、ある高名な心療医師から言われました。『be human』。人間らしくしなさいと。人の気持ちを100%理解することはできませんが、理解しようと努力しているというメッセージを変わりなく、続けて出していくことが大事なのです」
4月16日、遺族らは檀園高校のある安山市での追悼行事や引き揚げられたセウォル号の船内、事故が起きた珍島の海、そして、セウォル号が出発した仁川などをそれぞれ訪ねていた。また、
李さんは16日、追悼行事には参加せず、
そして、檀園高校の生存者のひとりは、
「あなたたちへの懐かしさは少しの罪悪感とも似ている」と。
そして、「あの時の能力のなかった大人のようにはならないよう、
彼女は救急救命士の道に進んでいる。