塚田一郎氏の何に「ヤバさ」を感じたのかと言えば
今月初め、塚田一郎副国土交通相が安倍晋三首相らへの「忖度」発言で辞任に追い込まれた件があった。毎日新聞は、
「塚田氏辞任 政権『緩み』露呈」(4月6日)と書いた。
記事を読んでみると、
《ただ、政権の緩みは塚田氏に限らない。麻生氏自身が2月3日、福岡県内の会合で「子どもを産まなかったほうが問題だ」と述べ、物議を醸した。桜田義孝五輪担当相は相変わらず発言が不安定だ。》
とある。
よく考えたいのだが、麻生氏の暴言の数々は気の「緩み」からくるものだろうか? いや、最初からそういう考えを持った人なのである。そんな方が長い間ナンバーツーなのである。
桜田義孝五輪担当相に至っては発言が不安定なのではなく、最初から安定などしていない。桜田氏は決して気持ちが緩んでもいなければ慢心もしていない。赤ちゃんに泣くなと言っても泣くのと同じ。本人は全力でやったけどああなっただけだ。
この記事で言われている塚田一郎元副国土交通相もそうだろう。
福岡県知事選の応援演説であの発言は出たが、まず塚田氏のあの姿を思い出してもらいたい。
ハチマキをして声を張り上げていた。地元の聴衆に麻生大臣の偉大さをアピールするあの姿勢には気の緩みは微塵も感じない。むしろ必死に頑張っていた。それもそのはず、麻生氏の推す候補の情勢がピンチだったからだ。だから「実績」をアピールするしかないのだ。必勝を誓うしかない。ハチマキを締めたあの姿からは「やってやるって!!」という気合しか私は感じなかった。
塚田氏は真面目に、周囲の空気を読みながらちゃんと仕事をしてきたのだと思う。それが浮かんでみえたから皆ヤバさを感じたのではないか。
だから「緩み」とか「慢心」という言葉を使って現在の政権の姿を論じるのは違和感がある。批判し、叱っているようにみえるが「シャキッとしたら本来の姿に戻る」という行間がある。果たしてそれが論点だろうか。
論じるなら「緩み」「慢心」ではなく、元々のその「体質」ではないか。
各紙のそこの評価が読みたい。
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