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がんになって知った“妻のふてぶてしさ”
もうひとつ思い知ることになったのが妊孕性の問題だ。
「抗がん剤治療をすると妊娠できなくなるかもしれないから、受精卵の凍結をしたい」と妻からLINEで告げられた時は、「まずは治療だろーが! だいたい、そんな重い問いをLINEで吹っかけてくるな」と返しかけたが、第2子うんぬんの前に女性としてなにかが終わってしまうのがひどく悲しいのだと瞬時に悟った。オムツ替えで飛び散った息子のウンコを鼻の下につけたまま外出したことのあるほど鈍感な俺にしては珍しいことだ。
自分だってがんで男性の証である睾丸全摘となったら辛いはず。取った金玉をループタイにでも加工して残したいとか、精子をスノードーム的な容器で鑑賞できるよう保存できないかと考えるかもしれない。受精卵が今後を乗り切るための“お守り”みたいなものになるんだったら、ウン十万円の費用なんぞ安いもんだと思えた。
大腸の腫瘍を取り除く手術、受精卵凍結を終えたものの、妻はまだ抗がん剤治療のまっただなかで寝込む日も多いし、再発・転移の可能性だってある。依然として刺さった“針”は抜けてはいない。だが、今回の件で俺と彼女はもちろん、それぞれの家同士の絆も深まったし、息子がよりかけがえのない存在であると改めて噛み締めた。
そして妻に、がんをネタに文春オンラインへ寄稿してしまう意外なふてぶてしさと、たくましさがあるのも知った。こうしたアレコレによって、“服”はちょっとやそっとのことでヘタらなくなったし、ポロッと“針”が抜ける日も近いんじゃないかという気がしている。