元号が平成から令和に変わった。新時代を迎えた一つの節目として、将棋界における「平成に達成された偉大な記録」を考えてみたい。
1、羽生善治の「同時七冠」及び「永世七冠」達成
将棋のタイトル戦は昭和10年に発足した実力制名人戦に始まるが、名人一冠時代を除くと、タイトル独占を果たしたのは升田幸三、大山康晴、羽生善治の3名である。
升田は昭和32年に名人、九段、王将という当時の三大タイトルをすべて獲得し、史上初の三冠王となった。その升田からタイトルを次々と奪い、大山も34年に三冠を独占する。のちに王位戦と棋聖戦という新たなタイトル戦が増えたが、そのたびに大山は四冠王、五冠王となった。大山がタイトル独占を果たしていた期間は8年以上となる。
48年に棋王戦が誕生して六大タイトル、58年に王座戦がタイトル戦へ昇格して七大タイトルとなったわけだが、この期間にタイトル独占はなく、七冠王は夢物語と思われていた。しかし平成8年2月14日、ついに羽生善治が七冠王となった。当時の社会現象は、現在の藤井聡太フィーバーに近いものがあった。
そしてタイトルは、それぞれ一定以上獲得すると「永世称号」が与えられる。棋戦によって条件は異なるが、もっとも容易なものでも通算5期、難易度が高くなると連続5期や通算10期となるので、実に高いハードルだ。これまで永世称号を獲得した棋士は木村義雄、塚田正夫、大山康晴、中原誠、米長邦雄、谷川浩司、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、渡辺明の10名しかいない。
そのうち、複数の永世称号を持つのは羽生を除くと大山と中原(それぞれ永世五冠)、渡辺(永世二冠)の3名のみ。羽生が成し遂げた永世七冠という偉業がどれほどの高みにあるかご想像願いたい。
羽生が永世七冠を達成したのは平成29年12月5日。渡辺を破って竜王を奪取し、残された最後の一つである永世竜王の資格を得た。対局場の指宿白水館に報道陣が殺到したのは記憶に新しい。個人的な話で恐縮だが、永世七冠誕生の瞬間を最も間近である対局室にて見ることができたのは、筆者の記者人生でも一、二を争う大きな幸運であった。