というのも、漫画の中で「はじめて出会った小日向に、筧がほんの少しだけドキッとする(しかし後ほど「なんだ恋人いるんじゃん」と知る)」場面がある。この場面を、ドラマでは3話の主要なエピソードとして登場させる。そして、小日向もとい山本耕史に対して、西島秀俊演じる筧は、すこしだけ動揺した素振りを見せるのである。
しかしこの場面、ほとんど恋心を台詞にも出さず、知り合いがいる手前、顔色にもあまり出さない、という状況だ。漫画では「ドキリ」とひとこと描けるため読者にも分かりやすいが、視聴者に台詞なしでこの機微を感じ取っていただくのは、かなり高度かつ困難な作業であることがうかがえる。
恋心の機微を伝えるためのキャスティングだったのでは
しかも、ここまで敢えて強調しなかったが、彼らは「ゲイ」という、男性同士なのだ。私たちの多くは普段、どうしたって異性同士の恋心には慣れていても同性同士の微妙な恋心にはまだ慣れていない。
それゆえに、おそらくドラマのスタッフは、筧がドキッとしてしまうその相手として、あるいはその先にある「ちょっとかっこいいな~と思うけど恋愛対象には至らない相手」として視聴者にも分かりやすいキャスティングにするために、同性にモテそうな風貌よりも、山本耕史という女性からも男性からも「かっこいい!」と思われるキャスティングを優先したのだろう。
私たち視聴者に、同性同士の、恋心が生まれかけて「恋人いるんだ」と知って一瞬で消える、その機微を伝えるためのキャスティングだったのではないか……と考えられる。
同性同士の恋も「見たことがあるシチュエーション」になってゆく
私たちは、他人の恋心なんて、意外と気がつかない。しかも、同性同士なら、余計、だろう。
だけどこうやって、少しずつ同性同士の恋も、「ドラマで見たことがあるようなシチュエーション」になってゆく。
それは想像力という言葉で言い換えられるような、自分とはちがうだれかの恋心を尊重できる社会につながっていく、と私は思う。
今日もどこかで生まれているかもしれない恋心をうつそうと、ドラマは、画面は、計算し工夫をこらしている。