著者によれば本書は、シンクタンクの教科書ではなく「私のシンクタンク論」である。なるほど3・11を契機に自ら立ち上げた体験談は、“シンクタンク小国”日本においては貴重であり傾聴に値する。
ここで評者自身の体験談もお許し頂きたい。昨年二月、本書にも登場する東京財団(現在は東京財団政策研究所に改組)というシンクタンクのプロジェクトメンバーとして米ワシントンDCに出張した。著者がブルッキングス研究所等の一流シンクタンクで政策起業家としての力を磨いた地だ。
政府、連邦議会、大学関係者の他にアポを入れたのがシンクタンク研究員だった。シンクタンクのメッカであるDCならではの箱日程(評者古巣の外務省ではスケジュール表の意)だ。とりわけ外交安全保障のトップシンクタンクである戦略国際問題研究所(CSIS)での意見交換は印象深かった。ホワイトハウスや国防総省での勤務経験がある研究員と東アジア情勢を中心に話したが、その内容もさることながら、機能的ながら洒落た個室とそこから望める吹き抜けからは、シンクタンクの豊かな財政力が充分に伝わって来た。
米シンクタンクのトップにとっての最大の仕事こそが資金調達だと著者はいう。政府からの委託研究に頼りがちな日本とは大きく異なる点だ。また本書で提案されている休眠預金の活用は、著者の柔軟な発想力と日本のシンクタンクの現状への危機感の表れといえよう。
評者自身は外務官僚から国会議員に転じ、いまは大学で教鞭を執りながらシンクタンクでの研究にも取り組んでおり、DC式の「回転ドア」(revolving door)に近いキャリアを実践しているつもりだが、日本ではこうした例はまだ珍しいだろう。「政策人材の貯蔵庫(タンク)としての機能」(ハムレCSIS所長)が日本で理解されるまでには時間が掛かりそうだ。なおハムレ訪日では安倍総理に表敬するという大物ぶりからも、米国におけるシンクタンクの重要性が見て取れる。
興味深い日米比較はさらに続く。戦後復興と高度経済成長を主導した霞が関は、日本最大のシンクタンクとも称されるが、著者は真の意味でのシンクタンクではないという。とはいえ政策立案を独占すると目される霞が関によるプランAに対して、プランBの提示を日本のシンクタンクに期待する声は多い。霞が関の独占は、人材を始めとした政策立案に必要なありとあらゆる資源だけではない。政策実現の作法それ自体も霞が関でいわば口伝によって独占されているということに、霞が関にとってはアウトサイダーである代議士となって初めて気が付いた。
著者が繰り返すように、米国を単純に真似ればよいという時代ではないが、彼の地でのシンクタンクの在り様を本書で知ることは、日本の政策空間のこれからを考える上で有益である。
ふなばしよういち/1944年、北京生まれ。東京大学卒業。朝日新聞社主筆を経て、三極委員会メンバー。『内部 ある中国報告』でサントリー学芸賞、『カウントダウン・メルトダウン』で大宅賞。
むらかみまさとし/1983年、大阪府生まれ。東京大学卒業。元外交官、元衆議院議員。同志社大学ロースクール嘱託講師。