『幻想の経済成長』(デイヴィッド・ピリング 著/仲達志 訳)

『幻想の経済成長』という本書のタイトルからは、定番の成長指標であるGDP統計を真っ向から否定している印象を受けるが、そうではない。現代人のたしなみとして、GDP統計への健全な接し方を説いている著作といった方がよい。

 GDP統計が完璧な成長指標でないとする著者の議論は明快である。第一に、GDPの拡大要因には、公害、犯罪、長時間労働、軍事費など、容易には正当化できないものが少なくない。第二に、GDPの成長と不平等の拡大が同時に進行する可能性がある。第三に、GDP統計で捕捉されない地下経済の規模が大きい。第四に、GDPの成長が人々の幸福度を高めるわけではない。第五に、GDP統計が比較的正確に計測しているフローではなく、うまく測定されていないストックこそが幸福度に大きな影響を及ぼす。

 明快な批判書は時に退屈な読書となるが、そうならないのが本書の魅力である。すべての場面は、著者の綿密な調査と取材に基づきながら、ユーモアを交えた筆致で描かれている。

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 著者が日本で丁寧な取材を続けてきたことも、日本の読者をいっそうひきつけている。GDP統計の冴えない数字をもって日本経済が「失われた10年」とこき下ろされていた21世紀初頭、著者はフィナンシャル・タイムズの記者として東京に派遣された。当時、GDP統計には表れない日本社会の豊かさに気づかされたことが、本書を執筆するきっかけともなった。

 日本人への取材も興味深い。たとえば、最近亡くなった加藤典洋は、ハリウッド映画『スピード』が黒澤明の原案で、成長の減速が大惨事を引き起こしかねないことが隠れたテーマであったと著者に語っている。

 著者がGDP統計の代替的な指標に慎重な態度をとっているところも好感が持てる。たとえば、国民所得だけでなく教育水準や平均余命を考慮した総合指標である人間開発指数(HDI)は、スカンジナビア諸国が常に最上位にランクされるが、HDIには「『スカンジナビアらしさ』が望ましい」という作成者の価値観が反映されていると手厳しい。

 ただ正直に言うと、経済学徒として本書を読むのは少し辛かった。GDP統計を妄信し経済成長偏重主義を扇動している張本人として経済学者が吊し上げにあっているからである。しかし、多くの経済学者は、GDP統計の生みの親であるクズネッツが指摘した限界を常に肝に銘じてきた。

 GDP自体よりも、固定資本減耗を控除した国内純生産(NDP)の方が国富への寄与を表した指標であるという著者の指摘も経済学的に常識でないだろうか。私自身も、21世紀に入って日本経済のNDPが低迷してきたことを繰り返し指摘してきた。

 経済学徒としてついつい不平を述べてしまったが、一読書人として、本書を十分に堪能できた。

David Pilling/ケンブリッジ大学卒業。1990年よりフィナンシャル・タイムズで働きはじめ、南米、アジア各地を取材。2002年~08年まで東京支局長。現在アフリカ編集長として、ロンドンを拠点に各地を取材。他著に『日本-喪失と再起の物語』がある。

さいとうまこと/1960年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院教授。著書に『〈危機の領域〉』『父が息子に語るマクロ経済学』など。

幻想の経済成長

デイヴィッド ピリング,仲 達志(翻訳)

早川書房

2019年3月20日 発売