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新天皇と雅子さまに「どのような感じをもっていますか」――日本人が皇室に抱く“好感”と“無感情”のサイクルとは

2019/06/09

genre : ニュース, 社会

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平成はどのようにして始まったのか

 では、平成の時はどうだったのか。1989年1月9日の即位後朝見の儀において、明仁天皇は「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」と、人々に語りかけるような口語体で「おことば」を述べた。その「言葉は心に残りました」(「朝日新聞」1989年1月9日夕刊)という大学生の意見に代表されるように、天皇のそうした姿勢は評価された。時代がここで大きく転換したと見られたのである。

1989年1月9日、即位後朝見の儀 ©共同通信社

 この時は、前年秋より続いた、昭和天皇の病気に伴う「自粛騒動」が世間に強い印象を与えていた。ここから天皇制が持つ強い権威を間近で感じ、反発や疑問を感じる人々も多かった。そして昭和天皇の戦争責任が議論されるなど、天皇制とは何か、その是非をめぐっての議論も戦わされた(そうして注目された番組の一つが、「朝まで生テレビ!」だろう)。また一方で、昭和天皇の死去に伴う即位は、祝意という側面をも減退させることにつながった。平成の時の即位後朝見の儀は、喪に服した人々の服装で、全体的に黒い。こうした状況が、祝意が前面に出た今回の令和との大きな違いである。

昭和天皇 ©JMPA

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 しかし、そうした状況のなかで、明仁天皇は人々に語りかける「おことば」を述べた。こうした方針は人々との関係性を重視するものと捉えられ、当時、「開かれた皇室」と呼ばれてマスメディアでは大きく注目される。たとえば読売新聞は、「開かれた皇室をぜひ タブーなくし伝統継承を」という見出しを掲げた記事を掲載した(「読売新聞」1989年1月10日)。それまでの天皇制には「タブー」が存在し、どこか人々とは隔絶した感があると、ここでは述べられている。それを打破するのが新しい天皇・皇后であり、それによって人々と精神的により近い「開かれた皇室」になる、そうした期待感がこの記事の中には存在していた。そして、それは人々にも伝わっていく。