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「平成流」と呼ばれる行動はいつから始まったのか

 また、天皇と皇后は1991年に長崎県雲仙普賢岳の火砕流被害において避難した住民たちを見舞うため、長崎県を訪問する。そこで膝を突き、被災者と目線を合わせ会話したことが好意的に報道された。のちにいわゆる「平成流」と呼ばれる行動を、平成の初期から行っていったのである。

1991年7月10日、雲仙・普賢岳噴火を受け中学校の体育館に避難している住民と、膝を交えて被災の様子をお聞きになる上皇さま ©時事通信社

 NHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査のなかに「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか。リストの中から選んでください」という質問がある。「尊敬の念をもっている」「好感をもっている」「特に何とも感じていない」「反感をもっている」「その他」「わからない、無回答」という項目から回答を選択する。平成に入ってすぐの1993年の調査では、昭和のころに比べて、「好感」が倍増している。人々は、明仁天皇の姿勢を「好感をもって」見たのである。

「遠いよその人のよう」と述べる主婦の意見も

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 とはいえ、「平成流」は評価されつづけたわけでもなかった。1998年の「日本人の意識」調査では「無感情」が44%「好感」が35%と、前回1993年調査と順位が入れ替わっている。先ほど述べた即位後朝見の儀の際には、「さめた目」と評価されるように、天皇を「遠いよその人のよう」と述べる主婦の意見もマスメディアのなかでは掲載されていた(「朝日新聞」1989年1月9日夕刊)。そうした人々は一定数いたのだろう。また、「好感」と答えた人々も、ある種の「ご祝儀」が終わったなかで、次第に飽きていったのではないか。

1997年、春の園遊会 ©JMPA