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2019/06/18

即アウトな発言をさせてしまう「友だち」という罠

「美人の女優さんはそういうとこにはコンプレックスはないんだなって、ちょっと全然斜めからの感想なんですけど」

 この先生は以前山ちゃんと共演したことがあるそうで、おそらく「私と山ちゃんの仲だったら大丈夫」と思ってしまったんでしょうね。「キツイ悪口を言える=仲良しの証」だと勘違いするタイプの人だ。山ちゃんにこんなこと言えちゃう仲良しの私。ただの「おめでとう」じゃなく「斜めからの感想」を言えちゃう私。ああなるほど。

 と、納得したと同時に、少し怖くなりました。職業的に即アウトみたいな発言をさせてしまう、この「友だち」という罠が。辛島美登里も歌ってるじゃないですか。「“友だち”っていうルールはとても難しいゲームね」と。向こうがいくら胸襟開いているように見えても、簡単に飛び込んでいくと痛い目を見るんです。こと芸能人相手だったら尚更。なぜなら彼ら彼女らは、私たちに「友だち」と勘違いさせるプロだから。

 山ちゃんの結婚がここまで人々の心を掴んだ理由も、この山ちゃんの巧みな「友だち作戦」にある気がするんですよ。

「ダメな俺たち/私たち」を心地良く包み込む“ダメな山ちゃん”

 今まで自身の性格の悪さや容姿の劣等感、モテないことをパブリックイメージにしてきた山ちゃん。言うまでもないことですが、そのパブリックイメージとは山ちゃんの「場の空気を読み自分をどこに置くのが正しいかを瞬時に判断する頭の良さ」と対になるものです。ここが重要。特にラジオで自ら流布していく「ダメな山ちゃん」は、非常に心地良い温度で世の「ダメな俺たち/私たち」を包み込んでいました。

「ダメな俺たち/私たち」を包み込む山里亮太 ©文藝春秋

 自分は一番下にいる、だからこそ上にいる人たちが妬ましいのである、という軸がブレない。今インターネットで最も求められるのは、こうした謙虚さ。この人は芸能人だけど自分と同じだと思わせてくれる親近感。 そんな自分の大事な「友だち」が、美しい女優と結婚するのです。そりゃもう我が事のように盛り上がりますよ。

 結婚会見でもひたすら謙虚に「非モテの自分がこんなに素敵な人と結婚できました!」という姿勢を崩さない。そんな山ちゃんを見て、「友だち」たちはゲスい質問するマスコミに憤慨し、どこからか探してきた山ちゃんのいい話、山ちゃん本当はこんなすごいんだ話、をインターネットでどんどん拡散していく。山ちゃんの「友だち作戦」の結実を見た思いです。

「ファン」とも違う、この「友だち」という感覚。ここをくすぐることの重要性は、先日ネットを騒がせた磯野貴理子の離婚話でも強く感じたところでした。