人が人を殴ることを、良識ある現代人は、「野蛮なこと」と評価するのかもしれない。しかし、殴るという行為は、ときに(けっして「常に」ではない)、優れて文化的である。
例えば、親指を握り込まずに握った拳に体重の全てを乗せるようにして真っ直ぐに打ち抜くのが、ボクシングのストレートパンチだが、このように相手を殴る動物は、われわれ人類だけであろう。いや、その人類にしても、石器時代には、適当に握った拳を力任せに振り回していただけで、ストレートパンチは知らなかったに違いない。ストレートパンチは、人間の身体の構造や機能についての深い理解と深い考察とに基づく、文化的な産物なのである。
もちろん、改めて「文化的」と評価されるべきは、ボクシングのストレートパンチばかりではない。あらゆる格闘術のあらゆる殴り方が、文化的な産物であり、人類の重要な文化の一つである。それゆえ、ストレートパンチをはじめとする文化的な殴り方の誕生は、絵画における遠近法の導入や音楽における和音の発見に劣らず、人類文化史の一大事件であった。
では、われわれ人類は、いつから、ただ力任せに殴るのをやめて、ストレートパンチのような洗練された文化的な殴り方を採用しはじめたのだろうか。また、そうした文化的な殴り方の普及は、人類の文化の全体に、どのような影響を与えたのだろうか。
残念ながら、日本の歴史学者たちには、こうしたことに関心を持つ才覚はない。また、この国の民俗学者たちは、こうした分野を敬遠する。どうやら、歴史学においても、民俗学においても、人が人を殴ることは、まじめな研究の対象とは見做されないらしい。
その点、さすが、文化人類学者は、人間どうしの殴り合いを、学術研究の対象にしてみせる。ここに紹介する『殴り合いの文化史』を著した樫永真佐夫氏は、主にタイを研究対象としてきた文化人類学者である。
著者は、「人が人を拳で殴ること、これはきわめて人間的な暴力だ」と規定する。さらに、著者によれば、「人間だけが、拳をシンボルとし、その暴力を形式化し、あるいはそれに意味を付与してきた」のであった。
考察は、多岐に渡るが、一つ、特に興味深いものを紹介するならば、著者は、男性の拳をペニス(男性器)の象徴と見做す。拳を握った腕を突き上げる、いわゆる「ガッツポーズ」は、「男同士の間の侮辱や挑発」で使われると、「『お前の肛門にぶち込むぞ』という最大限の脅し」になるのである。人間のオスが敵対するオスに拳を見せつけるのは、ペニスを見せつける代わりとしてであるらしいのだ。
日頃から殴り合いに身を投じている人にも、普段は殴り合いとは無縁の生活を送っている人にも、本書を手に取ることを勧めたい。
かしながまさお/1971年、兵庫県生まれ。国立民族学博物館教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。専攻は文化人類学。著書に『黒タイ歌謡―村のくらしと恋』など。
しげたしんいち/1968年、東京都生まれ。神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員。『殴り合う貴族たち』など著書多数。